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南佐古(みなみさこ)は、徳島県徳島市の町である。南佐古一番町~南佐古八番町がある。ほとんどは佐古地区だが、南佐古八番町の一部が加茂名地区に属す。郵便番号は、南佐古一番町~南佐古八番町がそれぞれ〒770-0031~0038。
2011年6月1日。徳島市の調査より[1]。
世帯数 | 人口 | |
---|---|---|
南佐古一番町 | 92 | 195 |
南佐古二番町 | 91 | 179 |
南佐古三番町 | 199 | 436 |
南佐古四番町 | 226 | 516 |
南佐古五番町 | 267 | 525 |
南佐古六番町 | 337 | 708 |
南佐古七番町 | 341 | 741 |
南佐古八番町 | 251 | 516 |
計 | 1804 | 3816 |
徳島市中央部、都心地域(中心市街地)の北西に位置する。ほとんどは佐古地区だが、南西端(南佐古八番町5番の大半)は加茂名地区である。
眉山北麓に位置し、鮎喰川の旧河道にあたる山麓後背湿地が発達する。北端に佐古川が流れ、南端は眉山山麓に達する。
ほぼ住宅地である。眉山山麓は寺社が並んでいる。
北は佐古川で佐古と接す。佐古も南佐古も一番町~八番町に分かれるが、各番町は少しずれている。南は眉山北麓を占める佐古山町と接す。加茂名町・西大工町とは、眉山山中で短い距離だけ接している。
江戸時代には、街道沿いに発展した佐古町(現 佐古南部)の佐古川を挟んだ南に位置し、町屋の大谷通や、武家地があった。大谷(現 南佐古二番町付近)は青石(緑色片岩)の産地で、佐古川を使って運び出され、佐古川護岸や徳島城の石垣に使われた。
明治初期までは、佐古町の周囲(主に北)に広がる佐古村の一部だった。しかし、1880年から1881年にかけ佐古村の一部が佐古町に編入され、佐古村は佐古町の北と南に分断されたので、1881年、佐古村から南佐古村が分離された。1889年の市町村制により徳島市南佐古町となった。当時の人口は1042人で[2]、佐古町(現 佐古南部)や北佐古町(旧 佐古村、現 佐古北部・北佐古)の1/5程度だった。
1937年、加茂名町が徳島市に編入された際、加茂名町蔵本の蛇谷前と海の宮を編入し、十六丁目までになった。1942年の町割変更後は、十丁目までになった[2]。
1964年、南佐古の大半に西新町・南蔵本町の各一部を加え南佐古となり、南佐古一番町~南佐古八番町に分けられ、現在の町割となった。
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