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南ベトナムの国歌は、1948年から1976年にかけて存在したサイゴンを首都とするベトナム人国家(通称:南ベトナム)で使用されていた国歌である。青年行進曲と市民への呼びかけ、及び南部解放の三種類があり、「青年行進曲」はベトナム臨時中央政府・ベトナム国とベトナム共和国(1948年 - 1956年)、「市民への呼びかけ」はベトナム共和国(1956年 - 1975年)、「南部解放」は南ベトナム共和国(1969年 - 1976年)がそれぞれ使用した。なお日本語でも(南ベトナムを解放しよう)という名前で歌われていた
なお、「市民への呼びかけ」と「南部解放」の使用時期が一部重複しているのは、南ベトナム域内で二つの政府が並立していたからである。
南ベトナムの国歌のうち、「青年行進曲」と「市民への呼びかけ」の作曲、及び「南部解放」の作詞・作曲はルー・フー・フォク(ベトナム語:Lưu Hữu Phước / 劉友福:1921年 - 1989年)が手掛けている。
フランス植民地支配に対する抵抗意識を持つルー・フー・フォクは、植民地支配への抵抗の一環として1939年に歌曲「学生行進曲」(仏:La Marche des Étudiants)を作曲し、マイ・ヴァン・ボー(ベトナム語:Mai Văn Bộ / 枚文部)がフランス語歌詞を作詞した。
その後、1941年に学生クラブ「インドシナ学生総会」ベトナム語:Tổng hội sinh viên Đông Dương / 總會生員東洋が「学生行進曲」を会歌に選んだことを受け、「学生行進曲」は1945年までに3つのベトナム語歌詞が新たに作詞された。1つ目は会歌選定にあわせてルー・フー・フォクとマイ・ヴァン・ボーが作詞したもので、1945年まで秘密裏に歌われ続けた。2つ目はレ・カク・チュー(ベトナム語:Lê Khắc Thiều / 黎克韶)とダン・ゴク・トー(ベトナム語:Đặng Ngọc Tốt / 鄧玉卒)が1941年に作詞した「学生への呼びかけ」(ベトナム語:Tiếng gọi sinh viên / 㗂噲生員)で、1943年に出版されたものの発禁処分を受けた。3つ目はホアン・マイ・ルー(ベトナム語:Hoàng Mai Lưu / 黃梅流)が1945年に作詞したもので、ベトナム八月革命の蜂起直前に出版された[1]。
1945年に仏印処理が実行されると、日本当局はコーチシナの民衆勢力を利用する目的でベトナム人に青年先鋒隊を結成させた。その際、ルーとマイは「学生行進曲」に若干の修正を加えた曲を「青年への呼びかけ」(ベトナム語:Tiếng gọi thanh niên / 㗂噲靑年)とし、青年先鋒隊の隊歌とした。これが、後に国歌となる「青年行進曲」である。
第二次世界大戦終戦直後、ベトナム八月革命に加わったしたルーとマイはそのまま革命勢力の一員としてベトナム民主共和国の建国事業に参画した。一方、1948年にベトナム民主共和国と敵対するベトナム臨時中央政府が樹立されると、臨時政府関係者は青年先鋒隊の隊歌だった「青年への呼びかけ」をルーやマイに無断で国歌に選定し、最終的に曲名を「青年行進曲」へ変更した上でベトナム国の国歌とした。その為、1949年からルーはベトナム国による「青年行進曲」の無断使用を著作権者として非難する一方、フランスからの独立を望んて制作した歌曲をフランスの「傀儡政府」であるベトナム国が国歌とする状況をベトナムの声を通じて嘲笑した[2]。
その後、1955年にベトナム国はベトナム共和国へ体制変更するが、ベトナム共和国は1956年に「青年行進曲」の歌詞だけを変更して新国歌「市民への呼びかけ」としたので、ルーの著作権を侵害している状況に変わりはなかった。一方のルーは、1960年に結成された南ベトナム解放民族戦線(解放戦線)の団体歌として1961年に「南部解放」を作詞・作曲し、自身も1965年に17度線を越えて南ベトナムへ秘密裏に戻り解放戦線の主要メンバーとなった。そして1969年に解放戦線が南ベトナム共和国臨時政府を樹立すると、臨時政府の閣僚として「南部解放」を国歌に流用した。
このような経緯から、冷戦下にもかかわらず、南ベトナムでは自由主義陣営に属する国が社会主義陣営に属する人物の曲・歌詞を国歌として使う奇妙な状態が最後まで続いていた。
青年行進曲は、1945年に独立促進団体として結成された青年先鋒隊の隊歌「青年への呼びかけ」として当初は制作され、1948年6月14日にベトナム臨時中央政府(1948年 - 1949年)が新国家の国歌に選定した。その後、ベトナム国(1949年 - 1955年)発足と共に正式な国歌となり、ベトナム国からベトナム共和国(1955年 - 1975年)への体制変換後も1956年まで使用された。独立を目指す青年達を対象に制作された歌曲の為、青年に新しい社会の建設を促す内容の歌詞となっている。
歌詞 | 英語公式訳 | 日本語訳 |
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Này thanh niên ơi! Đứng lên đáp lời sông núi. |
Youth of Vietnam, arise! And at our Country's call |
ベトナムの青年よ! |
市民への呼びかけは、従来の国歌である「青年行進曲」の歌詞を変更することで誕生した歌曲である。1955年にベトナム共和国が発足した事を受け、翌1956年にラジオ・ベトナム(ベトナム語:Đài Vô tuyến Việt Nam / 臺無線越南)が新たな歌詞を制定した。ジュネーヴ協定によって北ベトナムとの分断国家になった現状を踏まえ、南ベトナムの国民に国家(ベトナム共和国)への忠誠を求める内容となっている。
なお、「市民への呼びかけ」は「青年行進曲」と全く同じ旋律を用いている。そのため、両者を混同・誤認しやすいので注意が必要である。
歌詞 | チュノム | 英語公式訳 | 日本語訳 |
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Này Công Dân ơi! Quốc Gia đến ngày giải phóng. |
呢公民𠲖! 國家𦥃𣈜解放。 |
O People! The country nears its freedom day. |
おお!民よ起て! |
南部解放は、1961年に南ベトナム解放民族戦線の団体歌(軍歌)として制定され、1969年に南ベトナム共和国臨時革命政府(1969年 - 1976年)が発足するとその国歌に制定された。その後、1975年のサイゴン陥落によってベトナム共和国消滅すると、「南部解放」は南ベトナムにおける唯一の国歌となった。
歌詞 | チュノム | 日本語訳 |
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Giải phóng miền Nam, chúng ta cùng quyết tiến bước. |
解放沔南、眾喒共決進𨀈。 |
南部の解放へ、 |
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