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福岡県の菓子製造販売会社 ウィキペディアから
千鳥屋の系列にある企業の1つで、千鳥屋を創業した原田政雄・ツユ夫妻の次男・原田光博が1997年(平成9年)に設立した企業。千鳥屋の主力商品である「千鳥饅頭」「チロリアン」を主力商品として展開しており、中でも「チロリアン」は系列他社とは異なるフレーバーやコラボレーション商品など多彩に発売している。
創業者の原田光博は1938年(昭和13年)7月6日に生まれ、法政大学社会経営学部を卒業[1]した後に千鳥屋の経営に関わり、1962年(昭和37年)に「チロリアン」を考案・発売した[2][3]。1963年(昭和38年)から菓子作り修行のためにドイツを訪れ、修行先の菓子店の娘ウルズラと知り合い結婚[4]。帰国後はツユを支えつつ、自身はドイツ菓子店「エルベ」、1969年(昭和44年)にはベーカリー事業の「スベンスカ」を起こした[5]。ツユ没後の1997年(平成9年)に千鳥饅頭総本舗の前身となる「千鳥屋ファクトリー」を設立し、2000年にスベンスカを吸収し新たにチョコレート専門店「アナベル」を出店するなど精力的に活動するが、悪性リンパ腫を患い闘病の末2008年(平成20年)6月6日に没した[6]。
光博は亡くなる4か月前の2月に代表を退き、妻の原田ウルズラを代表取締役とし、次男・原田健生を社長、三男・原田広太郎を補佐とする体制に一度は移行していたが[6]、光博没後の12月には広太郎が辞任する[5]。2010年(平成22年)にはウルズラが代表取締役社長に就任、アナベルを担当していた長男・原田浩司が千鳥饅頭総本舗へと戻って専務取締役となり、健生は常務取締役になるなど役員体制の変遷は続き、2011年(平成23年)12月には浩司が代表取締役社長、ウルズラが会長、広太郎が取締役となる新体制へと移行する[5]。この際「基本をもう一度見直す」との方針から新商品開発よりも既存商品の強化へと転換し、ベーカリー事業(スベンスカ)の廃止検討に異を唱えた健生がベーカリー事業をもって2012年(平成24年)に独立した[5]。
これ以前の沿革は、千鳥屋#沿革を参照。
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