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トヨタ勝又グループ(トヨタかつまたグループ)とは、千葉県、埼玉県、東京都東部でトヨタ車を中心に扱う自動車ディーラーグループである。
3都県でトヨタディーラー5社(チャネル制度で見ると、トヨペット店およびレクサス店が1社、トヨタカローラ店が2社、ネッツ店が2社)を運営している。全国のトヨタディーラーの中でも有力会社の一つであり、トヨペット店の取り扱い車種であるハリアーが2代目でモデル廃止となる計画が出た際には、自ら先頭に立ち全国トヨペット店の総力を結集してハリアー廃止反対の署名を集め、モデル廃止を撤回させたほどの力を持つ。
創業は1942年(昭和17年)7月で、当時は勝又豊次郎による個人営業の千葉県初の自動車販売店であった(なお、勝又自動車ホームページ上では1925年(大正14年)創業としている)。法人としては、1946年(昭和21年)1月に勝又自動車有限会社を設立。その後株式会社となり、勝又自動車株式会社と社名変更した。現在はグループ各社の持株会社としての機能が主で、本社住所は創業当時から千葉県千葉市中央区本町。ただし、グループ内の新車点検部門が本体にある(コルネット事業部)ため、純粋持株会社ではない。
創業時はフォードのディーラーだったが、のちにトヨタディーラーに転換する。また、戦後、民生デイゼル工業やプリンス自動車も取り扱っていた時期もあったが、プリンス店はトヨタディーゼル店に鞍替えした。
グループ名は、創業者である勝又豊次郎の苗字に因む。豊次郎の子である、基夫(長男)、久夫(次男)、康夫(三男)で各グループ会社を統括し、長男の基夫がグループ会社社長(2代目)としてその大部分を統括したが、2009年(平成21年)12月20日に基夫が死去し、基夫の長男の勝又隆一(3代目)が千葉トヨペットの代表取締役に就任した。隆一はその後2021年(令和3年)4月1日に退任し、勝又自動車の社長に就任。後任にはネッツトヨタ東都社長の清水貞弘が就いた。
千葉トヨペットの本社社屋は、1899年(明治32年)に、東京麹町に日本勧業銀行本店として建てられたもので、谷津遊園楽天府や千葉市役所庁舎として使用され数度の移築を経ている。当時としては最新の建築様式であるアールヌーボーやゼツェシオンのデザインを建築に取り入れた。国の登録有形文化財にも指定されている。設計は旧大蔵省や国会議事堂の基礎設計を担当していた妻木頼黄と武田五一であり、現在の国会議事堂にデザインが似ている。
2024年1月1日付けでグループディーラー6社を各地域ごとの持株会社にぶら下げる再編を行った[1]。
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