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日本の北海道の道路 ウィキペディアから
北海道道631号ニセコ高原比羅夫線(ほっかいどうどう631ごう ニセコこうげんひらふせん)は、北海道虻田郡倶知安町内を結ぶ一般道道(北海道道)である。
路線中の地名のうち、北海道告示では起点が「虻田郡倶知安町ニセコ高原」と表記されている[3]が、道路台帳図では起点からサンモリッツ大橋までの間が「倶知安町字山田」と表記されている[4]。また、2022年(令和4年)に倶知安町がニセコ東急 グラン・ヒラフを含めた周辺の地名を、これまでの「字山田」から「ニセコひらふ」に変更することを同年1月20日に公示[5]及び10月1日に施行[6]していて、公式資料に記載されている地名表記がまちまちなことから、当記事での路線における地名表記は、起点は北海道告示を第一表記として〈道路台帳図の起点表記〉《倶知安町による変更後の地名表記[7]》の形で併記し、告示に記述がないものは道路台帳図の内容を第一表記として《倶知安町による変更後の地名表記》を併記している。
この路線が出来た当初のルートは、比羅夫駅から羊蹄山に向かう登山客のための倶知安町道[11]と、同駅から当時の比羅夫スキー場(現在のニセコ東急 グラン・ヒラフ)に至るスキー客のための同町道が前身となっていて、中でも1952年(昭和27年)に比羅夫駅から現在の起点付近に存在した山田温泉旅館(1894年〔明治27年〕に温泉発見、3年後に開業[12][13]、ただし現存せず)に至る自動車道路が開通したという記録があり[13][14]、さらに1960年(昭和35年)に、翌年の比羅夫駅 - 山田温泉間国鉄バス路線運行開始と北海道道移管を前に字樺山 - 字比羅夫(国道5号交点)間で尻別川にかかる比羅夫橋の永久化工事も行われたという歴史がある[14][15]。
しかし当初の字樺山 - 字比羅夫間路線の大半は1.5車線程度の待避所を有する狭隘道路となっていて、区間内には急坂があり、かつ急カーブも多く[8]、さらに函館本線の踏切において大型トレーラー、特に低床式トレーラーやセミトレーラー式キャリアカーなどの、最低地上高が低い車両底面が線路に接触する事故も多かったために標識等によって大型トレーラーへの通行注意喚起が行われていた[16]。この状況は前述する2005年のサンモリッツ大橋開通に伴う路線変更まで続く事となる。
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