北条業時
鎌倉時代中期から後期の武士。 左馬権頭、越後守、駿河守、陸奥守。鎌倉幕府 引付衆、評定衆、連署。北条重時の四男。母は筑前局(側室、備後局)。普恩寺流北条氏の租。 ウィキペディアから
鎌倉時代中期から後期の武士。 左馬権頭、越後守、駿河守、陸奥守。鎌倉幕府 引付衆、評定衆、連署。北条重時の四男。母は筑前局(側室、備後局)。普恩寺流北条氏の租。 ウィキペディアから
北条 業時(ほうじょう なりとき)は鎌倉時代中期から後期にかけての北条氏の一門。普恩寺 業時(ふおんじ なりとき)とも呼ばれる。鎌倉幕府の六波羅探題北方・連署である北条重時の四男。普恩寺流北条氏の租。母は側室の筑前局。『桓武平氏諸流系図』や『関東閨閥皇代並年代記事』所蔵の「北条系図」によると、初めは重長と名乗っていた。
文永2年(1265年)に小侍所別当および引付衆、建治2年(1276年)に評定衆、建治3年(1277年)に引付頭人と歴任。
兄弟の序列は年下の異母弟・義政の下位に位置づけられ、義政が四男、業時が五男として扱われて、極楽寺流内での家格も義政(塩田流)が嫡家赤橋流の下、業時(普恩寺流)より上位の2番手に位置づけられていた。しかし建治3年(1277年)の義政遁世以後は空席となっていた連署に、業時が弘安6年(1283年)に就任すると、業時の普恩寺流が嫡家に次ぐ2番手の家格となっている。
弘安10年(1287年)6月18日に連署を辞して出家し、26日に死去。享年47。
※日付=旧暦
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