北条忠時
鎌倉時代中期の武士。北条重時の十男。子に親時。坂田流の祖。 ウィキペディアから
鎌倉時代中期の武士。北条重時の十男。子に親時。坂田流の祖。 ウィキペディアから
北条 忠時(ほうじょう ただとき、建長元年(1249年) - 弘安7年10月2日(1284年11月10日))は、鎌倉時代の武士。北条重時の十男だが、他の兄弟達の中に夭折するなどして業績を残せず、日の目を浴びなかった者もいたため、六男として扱われることもある[1]。通称は陸奥十郎。子に親時がいる。
弘長3年(1263年)、椀飯の儀式に参列。宗尊親王の鶴岡八幡宮参詣に際し供奉を担当。建治3年(1277年)に従五位下、左近将監に叙位される。同年、北条貞時が元服した折、儀式で馬の牽引を担当した。弘安4年(1281年)、引付衆に補任される。同7年(1284年)死去。『続拾遺和歌集』に歌が一首採録されている。
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