北村 政治郎(きたむら まさじろう、1882年(明治15年)4月14日[1] - 1933年(昭和8年)3月28日)は、日本の通信技術者である[2]。
経歴・人物
滋賀県大津市の生まれ[3][4]。幼年のころに北村斎一郎の養子となり[3]、新潟県に移住する[3]。後に上京し逓信省が運営する東京郵便電信学校を経て[2][3]、卒業後の1904年(明治37年)に同省に入り電気試験所に勤務した[3][4]。
その後は同僚の丸毛登らと共に[3]、多くの電話や通信の接続装置[2][3]、電線の発明に携わった[3][4]。1924年(大正13年)に逓信省を離れ[3]、翌1925年(大正14年)に東京放送局(現在の日本放送協会)が開局したのと同時に同局の技師長に就任し[2][3]、放送事業の向上に貢献した[3][4]。子にジャズ・クラリネット奏者の北村英治らがいる[5]。
発明品
主な発明
その他の発明
- 高周波式有線多重電信装置
- 有線多重電信電話装置
- 送電線高周波通信方式
受賞歴
著書
- 『無線の栞』
脚注
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