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勝野 実(かつの みのる、1891年(明治24年)6月17日[1] - 1957年(昭和32年)8月1日[1])は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。位階勲等功級は従四位勲二等功四級[2][3]。
東京府出身[1]。1912年(明治45年)7月、海軍兵学校第40期を卒業し[2]、1913年(大正2年)12月、海軍少尉に任官[4]。その後海軍砲術学校高等科を卒業し[3]、「韓崎」分隊長[3]、「時津風」「第3駆逐艦」各砲術長兼分隊長[3]、「白露」駆逐艦長などを歴任した[3]。1926年(大正15年)12月、海軍少佐進級と同時に「菫」駆逐艦長に着任し[3]、以後「第二号駆逐艦」長[3]、「鳥羽」艦長[3]、「夕月」駆逐艦長[3]、「大和」運用長などを歴任した[3]。1932年(昭和7年)12月に海軍中佐に進級し[3]、海軍兵学校副官[3]、「青葉」副長などを経て[3]、1937年(昭和12年)12月に海軍大佐に進級した[3]。
1939年(昭和14年)12月に舞鶴海兵団長に就任し[3]、1940年(昭和15年)11月に第16防備隊司令(第2遣支艦隊・海南島根拠地隊[5])を経て[3]、1941年(昭和16年)7月に第16警備隊司令(海南警備府[6])に就任した[3]。1942年(昭和17年)9月15日に横須賀第二海兵団長に就任し[3]、11月1日に海軍少将に進級した[3]。1943年(昭和18年)4月に第7連合特別陸戦隊司令官に就任し[3]、南方方面に出征[1]。同年9月1日に横須賀第二海兵団長に戻り[3]、1944年(昭和19年)1月に同海兵団は武山海兵団と改称された[3]。同年8月1日に支那方面艦隊司令部附となり[7]、8月18日に上海海軍特別陸戦隊司令官に就任し[7]、終戦を迎えた。1946年(昭和21年)4月30日に予備役に編入された[7]。
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