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日本の政治家、医師 ウィキペディアから
勝俣 英吉郎(かつまた えいきちろう、1865年4月13日〈慶応元年3月18日[1][2][3]〉 - 1930年〈昭和5年〉4月7日[1][2][4])は、明治から昭和時代前期の政治家、医師。長野県上田市長。俳号・かつ丸。
信濃国上田城下の上田藩医の家に生まれる[1][2][3][5]。1879年(明治12年)東京外国語学校でドイツ語を学び、1883年(明治16年)東京大学医学部別課に入学し、1887年(明治20年)帝国大学医学大学を卒業し、1888年(明治21年)家業の医院を継ぐ[1][2][3][5]。
1891年(明治24年)信陽医学会を創立し、同会長を務める[5]。日清・日露戦争では日本赤十字社救護医として従軍[1][2][3][5]。1909年(明治42年)長野県会議員に当選し、立憲民政党支部長に就任した[5]。1919年(大正8年)上田市会議員に選出され、1923年(大正12年)同議長に就任[3]。
細川吉次郎市長の死去に伴い1924年(大正13年)7月14日、推挙され上田市長に就任し、1930年(昭和5年)4月7日、在職中に没した[1][2][3][4][5]。この間、上田橋の架け替え、丸子鉄道・上田温泉電軌北東線の開通、汚物焼却場設置、市営運動場、児童遊園地の建設などに尽力した[1][5]。
ほか、1914年(大正3年)長野県医師会長、1919年(大正8年)より5年間に渡り上田市医師会長を務めた[3][5]。また、かつ丸と号し、俳句も能くした[5]。
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