労働歌
ある労働に対し慣習的に歌われる茶摘み歌などの民謡、または労働組合の歌や労働党などの党歌、およびそれに準ずる歌 ウィキペディアから
ある労働に対し慣習的に歌われる茶摘み歌などの民謡、または労働組合の歌や労働党などの党歌、およびそれに準ずる歌 ウィキペディアから
労働歌(ろうどうか、英語: Work song)とは、歌の種類である。本義としては作業歌(さぎょううた)や仕事歌(しごとうた)などと呼ばれる、特定の労働をテーマとした民謡を指す。狭義として労働運動の歌や労働者を励ます歌を労働歌と呼び、革命歌、組合歌、反戦歌などを含む。
作業歌には
がある。農業など多人数が呼吸を合わせる必要がない仕事では、2に比べて1の数は非常に少ない。また、実際の作業のリズムと音楽のリズムが無関係な歌も多い。ほとんどの作業歌は作業をしながら歌われる歌というよりも、作業の合間に疲れを癒やしたり、労働の喜びを再認識するための歌といえる[1]。
前述の通り、労働運動の歌や労働者を励ます歌のこと。労働運動と密接な関わりがあり、戦前や戦時中は歌うことや放送が禁止された歌もある。なお、革命歌、組合歌、反戦歌については各項目を参照のこと。
米国の奴隷歌は、アフリカ系アメリカ人の奴隷による最初の歌だった。奴隷歌に関する本は、1867年にウィリアム・フランシス・アレン、チャールズ・ピカード・ウェア、ルーシー・マキム・ギャリソンによって出版された。このテキストには奴隷化された人々による多くの歌が含まれていたが、奴隷歌以外の労働歌を含む他の出版物も出版された。奴隷にされた個人によって歌われる多くの歌はアフリカの歌の伝統に起源があり、アフリカ人に故郷を思い出させるために歌われた可能性があるが、他の歌は士気を高め、アフリカ人のリズムを保つために捕虜によって創造された。それらはまた苦難に耐え、音楽の創造または秘密裏に言葉での反逆を通じて、怒りや欲求不満を表現する手段と見なされてきた。同様に、労働歌は反逆と抵抗の一形態として使用されてきた。アフリカ系アメリカ人の女性の労働歌にも歴史があり、抵抗とセルフケアが中心だった。労働歌は、奴隷にされた人々の生きた経験についての情報を彼らのコミュニティや家族に伝えるのに役立った。「ワーク・ソング」[注 1]はブルース[注 2]やジャズなどの元にもなったといわれている。
アフリカ系アメリカ人の歌の一般的な特徴は、リーダーが1つまたは複数の歌詞を歌い、他の人が合唱で応答する「コール・アンド・レスポンス」形式だった。これはアフリカの農業労働歌の伝統に由来し、束縛されたアフリカ人がキリスト教に改宗し始め、そこから黒人霊歌[注 3]やゴスペル音楽とブルースに救いの道を見出した。
ウディ・ガスリー、ピート・シーガーらが民謡復興の中で、労働者の側に立った産業民謡を復活させた。イギリスではユワン・マッコールらが同様の音楽運動を実施した。後にビリー・ブラッグ、ブルース・スプリングスティーンらも労働者や庶民の側に立った曲を発表している。
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