加藤 一郎(かとう いちろう、1925年5月2日 - 1994年6月19日)は、日本のロボット工学者。
日本のロボット工学、バイオメカニクス、ヒューマノイド研究の第一人者で、義手の研究から人型ロボット研究に入り、1973年に世界初の二足歩行可能なフルスケール人間型ロボット「WABOT-1」、1984年に音楽演奏ロボット「WABOT-2」、動完全歩行する「WL-10RD」等を製作した。千葉工業大学講師、早稲田大学助教授、教授、理工学部長を歴任。バイオメカニズム学会、日本ロボット学会、日本IFToMM会議の創立者、会長。早稲田大学教授在職中に逝去し、加藤研究室は弟子の高西淳夫、菅野重樹に受け継がれた。紫綬褒章、正五位勲三等旭日中綬章。
人物
- 旧制中学在学中に外国の洋上で船長をしていた父親から、理系進学を手紙で厳命され、早稲田大学理工学部に入学したと自著で述懐していた。
- 最初は電気工学科に進学したが、同大学の高城純一教授の指導を仰いだ結果、自動制御の理論に触れ、機械工学科に鞍替えした、としている。
- 役に立ちたいことを学びたいなら専門学校に行け、というのが持論で、大学というのは専門学校と一線を画す、という思想の持ち主である。しかし現在の早稲田大学の理念の一つである「社会貢献」と反しているため、加藤式のロボットは同大学では主流ではない。学内に展示されていた加藤式ロボットは、隅っこにしまわれた。
社会的活動
- バイオメカニズム学会(前身:人工の手研究会)(1979年 会長)
- 日本ロボット学会(1983~1984年度(第1期)副会長、1985~1986年度(第2期)会長、1987~1988年度(第3期)監事)[7]
- 日本IFToMM会議(設立準備委員会世話役、1978~1991年 副委員長、1992~1994年 委員長)[8]
自著
- 加藤一郎 著、電気学会通信教育会 編『制御工学』電気学会、1965年5月。
- 加藤一郎『自動制御論』理工図書、1958年。
- 加藤一郎『過渡現象論演習』学献社〈最新電気工学演習集成 3〉、1962年4月。ISBN 978-4762318306。
- 加藤一郎『世界初の二足歩行ロボット―バイオ・メカトロニクスの最前線』朝日出版社〈Techno science〈2〉〉、1983年11月。
- 加藤一郎『独創は独走なり』講談社、1987年6月。
編集・監修
- 加藤一郎 編『無人化工場への挑戦―工業用ロボットの話』工業調査会、1973年。
- 加藤一郎、尾崎省太郎 監修『自動化設計便覧』工業調査会、1973年。
- 加藤一郎 編『制御工学の実際』昭晃堂、1976年。
- 加藤一郎 編『図解メカニカルハンド』工業調査会、1977年10月。
- 加藤一郎 編『動物のメカニズム』朝倉書店、1980年9月。
- 加藤一郎 編『工学的人間学―人間と機械の共生』旺文社〈テレビ大学講座〉、1980年11月。
- 加藤一郎 編『図解ロボットハンド』工業調査会、1981年12月。
- 加藤一郎 編『ロボットは人間を変えるか―ロボット・生命・人間のゆくえ』講談社〈ブルーバックス(B‐536)〉、1983年6月。ISBN 978-4061181366。
- 加藤一郎 編『人間工学―工学的人間学』放送大学教育振興会〈放送大学教材〉、1988年3月。ISBN 978-4145425416。
講演ライブラリー
- 『ロボットに心を持たせる話』加藤一郎講師(名講義シリーズ)日本機械学会(製作・著作) , 丸善(発売)、ビデオ (カセット)
- NHK2018年上期連続テレビ小説『半分、青い。』で西北大学(早大がモデル)でピアノを弾くロボット「ロボヨ」の開発研究を行なっていた宇佐川乙郎(演・塚本晋也)は、「WABOT-2」を開発していた頃の加藤をモデルに[9]している。
小金澤鋼一 『多機能大腿義足の研究』早稲田大学〈博士学位論文(甲第721号)〉、1987年3月7日。
"Past Recipients by Year" (PDF). Robotics Online > Joseph F. Engelberger Awards (Press release). Robotics Industry Association. 2016年5月3日閲覧。