前川 虚舟(まえかわ きょしゅう、男性、生没年不詳)は、江戸時代後期の日本の篆刻家である。
名は利渉、虚舟は字。号は石鼓館。通称一右衛門または清三郎。浪華の人。生没年不詳であるが享保末年(1735年)頃に生誕し66歳まで生存が確認されている。
懐徳堂に学び、木村蒹葭堂に出入りした。岩倉家具(源具選)に家臣として仕え、大坂の佃村もしくは塩町に住んだ。懐徳堂とは関係が深く、中井竹山の陶印を刻し、中井履軒と連れ立って服部永錫の手製の顕微鏡を覗いている。虚舟は今体派の初期浪華派に属し、鉄筆に巧みで特に細字篆刻の技を讚えられた。安永6年(1777年)に方寸の石に独楽園記と年月・署名を刻している。また「後赤璧賦」や「蘭亭序」などの細字篆刻を手掛けて紀止の「千字文」と並称される。頼春水はこの技を絶賛している。しかし、なんらかの形で石鼓文を見て感化され高芙蓉の晩年の弟子となり、努力して古体派に転じて石鼓館と号した。法帖の模刻なども手掛け、天明5年、趙陶斎『新百家姓』の版木を刻している。友人の曽之唯が没しその遺稿『印籍考』を上梓する際、その序文を岩倉家具に依頼している。
その印風は芙蓉一門の中でも独自色が強い。虚舟の門下に呉北渚・長谷川延年・行徳玉江などおり一派をなした。息子の前川寿山(1807年 - ?)も細字を得意とした。
墓所は伝わらず現在も不明である。
- 『虚舟印譜』
- 『稽古印史』安永7年(1778年) 序文:頼春水
- 『鏨竅印譜』
- 『潤古館印譜』
- 『石鼓館印譜』
- 頼春水『在津紀事』
- 曽之唯編『浪華郷友録』寛政2年(1790年)
- 稲毛屋山『江霞印影』寛政9年(1797年) 印影3顆が掲載される
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