Loading AI tools
中国の三国時代の詩 ウィキペディアから
「出師表」(すいしのひょう、「出師の表」)とは、臣下が出陣する際に君主に奉る文書のことである。「出師」とは文字通り「師(=軍隊)を出す」ことを、「表」とは公開される上奏文を指す。「出師表」自体は一般的な文書名であるが、歴史上、三国時代蜀漢の丞相であった諸葛亮が、皇帝劉禅に奏上した『(前)出師表』が極めて著名であり、特に述べられない場合、「出師表」とはこれを指す。 出師表は、後世に南宋の安子順により「諸葛亮の出師表を読んで涙を堕さない者は、その人必ず不忠である。」と言われている。
以下、諸葛亮の「出師表」について記す。
建興5年(227年)、諸葛亮が主君の劉禅に奉った上奏文。一般に「出師表」と言えばこの文章を指すが、おそらくは偽書である「後出師表」(後述)と区別するために、「前出師表」と呼ばれることもある。自分を登用してくれた先帝劉備に対する恩義を述べ、あわせて若き皇帝である劉禅を我が子のように諭し、自らの報恩の決意を述べた文である。陳寿の三国志の本文にも引用されている他、『文選』、『文章軌範』等にも収められており、諸葛亮の真作と考えられている。
古来から名文中の名文とされており「諸葛孔明の出師の表を読みて涙を堕さざれば、その人、必ず不忠」[1]と言われてきたほど、諸葛亮の蜀に対する忠義が如実に描写されていると言われてきた。北宋代の詩人蘇軾は「簡而盡,直而不肆」 (簡素であって出し尽くされている。真っ直ぐであって乱雑ではない)と『老子』五十八章の「是以聖人~直而不肆」を引用して高く評価した。また西晋代の将軍羊祜の讓開府表に影響を与えたとされ、古来から比較の対象とされた。
なお「前出師表」は、漢代の古文の文体で書かれており、この時代に確立し六朝から隋唐に流行した、駢文の装飾的な文体とは異なる趣を持っている。この為、唐代・宋代の古文復興運動でも三国時代の文章としては唯一重んじられていた。古文真宝・文章軌範等の詞華集にも多く採用されている。
狩野直禎によれば、諸葛亮が尊敬していた楽毅の「燕の恵王に報ずるの書」の影響が見られ、楽毅の文章の本歌取りを行なっている所もあるという[2]。
諸葛亮が北伐(魏への遠征)に出発する前に、国に残す若い皇帝劉禅を心配して書いたという前出師表の内容は次の通りである。
まず、現在天下が魏・呉・蜀に分れており、そのうち蜀は疲弊していることを指摘する。そういった苦境にもかかわらず、蜀漢という国が持ちこたえているのは、人材の力であるということを述べ、皇帝の劉禅に、人材を大事にするように言う。
さらに、郭攸之・費禕・董允・向寵といった面々の名をあげ、彼らはよき人材であるから、大事にしなくてはならないと言い、あわせて後漢の衰退の原因は、立派な人材を用いず、くだらない人間を用いていたからだとも指摘する。
最後に、自分が単なる処士に過ぎなかったのに、先帝である劉備が3回も訪れて自分を登用してくれたことにとても感謝していると述べ、この先帝の恩に報いるために、自分は中原に進出し、逆賊たる魏王朝を破り、漢王朝を復興させようとしているという決意を述べ、全文を次のように結ぶ。
臣不勝受恩感激 今當遠離臨表涕泣不知所言
建興6年(228年)、諸葛亮は劉禅に再び「出師表」を上奏したとされている。この時の文章は、先の「出師表」と区別して「後出師表」と呼ばれている。しかし、この文章は『三国志』の本文では言及されず、裴松之の注釈の中で、習鑿歯『漢晋春秋』から引用され、さらに陳寿の編纂した『諸葛亮集』にも見えず、呉の張儼『黙記』に見えると書かれている上、歴史事実との相違点が多い。
後出師表の内容は次の通りである。
まず、自分が先帝である劉備から、逆賊である魏を討伐するようにと言われてきたことを確認し、魏の力があまりに強大で、自分の力はあまりにも弱く、このままの状態では蜀は魏に滅ぼされるであろうと述べる。そして坐して滅亡を待つよりは、先手を取って魏を討滅すべきであるとする。しかし、良からぬ輩が、自分の北伐を批判していると述べる。
このような批判に対し、6つの疑問点をあげてその批判の不当さを指摘する。
さらに、時代の流れは予見しがたいとし、弱小なる蜀も魏に勝てるかもしれないとし、死ぬまで努力すると述べる。
古くから後出師表は真偽不明の文書として有名であった。清の考証学者で歴代正史の研究を行った何焯の『義門読書記』では諸葛亮の真作とするが、考証学者でも銭大昭・林国賛は偽作説を唱えており、現在でもはっきりした結論は出ていない。以下に偽作説の学者の主張を述べる。
これに対し、真作説を唱える学者は、
と主張している。
「後出師表」の中の「臣鞠躬尽瘁、死而后已(臣は鞠躬尽力し、死して後に已む、)」は(四字熟語としては「鞠躬尽瘁」)は「全身全霊でやり抜く」という意味でつかわれる。『三国志演義』にも引用されたほか黄宗羲の「巡撫天津右僉都御史留仙馮公神道碑銘」にも引用されている。現代では朱鎔基首相が2001年に演説で使用した。
朝鮮語では競技、選挙などへの出陣を表明する際に、「출사표를 내다」(出師表を出す)または「출사표를 던지다」(出師表を投げる)の表現を使うことがある[3][4]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.