- 死去するまで10年以上にわたり月刊誌「諸君!」誌上に「月刊創価学会問題」を連載し、創価学会批判を続けた。1995年8月号では、創価学会に関し「政界に進出し、国家権力と結びつく、また結びつこうとする権力志向、権力依存の宗教団体は邪教だということだ。オウムよりはるかに始末が悪い難問である」と述べた。
- 総評事務局長を務めた富塚三夫を国鉄マル生時代の戦友仲間と呼んだ[2]。
- 『何が樺さんを殺したのか』
- 『ドキュメント東大紛争』文藝春秋 1969年
- 『公明党の素顔 - この巨大な信者集団への疑問』エール出版社 1969年
- 『新聞記者として』筑摩書房 1974年
- 『美濃部都政の素顔』講談社、1975
- 『新聞記者の世界 新聞現場からの新聞研究』みき書房 1977年
- 『インタビュー入門 インタビューの方法と実際』みき書房 1978年
- 『創価学会の野望 宗教法人を逸脱した数々の策動』日新報道1978
- 『ハガキ無宿 郵政マル生の内幕』毎日新聞社 1979
- 『創価学会に未来はあるか 「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相』藤原弘達共著 日新報道 1979
- 『私ならこう書く』ごま書房1980 ゴマブックス
- 『崩壊する創価学会 「公明党の素顔」から11年』エール出版社 1980年
- 『愛すればこそ 新聞記者をやめた日』文芸春秋 1981
- 『新聞この仁義なき戦い 朝毎読泥沼の販売戦略』大陸書房 1982
- 『幻想大国 「奇蹟の日本経済」の構造』講談社 1982
- 『坪内寿夫・経営とはこうするんや 奇跡を呼ぶ男』講談社 1983 のち文庫
- 『悶死 中川一郎怪死事件』草思社 1985年
- 『創価学会池田大作のあくなき野望 いまや、“池田教"に変質した泥沼組織のゆくえ』日新報道 1986
- 『高速道路は金のなる木か 怒れ!ドライバー!!』ダイナミックセラーズ 1989年
- 『創価学会・公明党スキャンダル・ウォッチング - これでもあなたは信じますか』日新報道 1989年
- 『会社を頼るな信じるな』東洋経済新報社 1993
- 『今、改めて問う創価学会・公明党』五月書房 1995
- 『男の渡る橋 エリートたちの栄光と挫折』主婦と生活社 1997
- 『都知事とは何か - 青島・鈴木・美濃部に見る都知事の器量』草思社 1999年