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光勝寺(こうしょうじ)は山梨県西八代郡市川三郷町上野にある寺院。宗派は高野山真言宗。山号は市瀬山。本尊は千手観世音菩薩。甲斐国三十三観音霊場の第3番札所。甲斐百八霊場の第94番札所。
寺記によれば、承久2年(1220年)に宥教が真言宗の密教の道場として創建したという。しかし、『甲斐国志』によれば宥教の前に9代の住職がいたという。山号は、芦川の水上ということで「一瀬山光勝寺」と称したが[1]、『甲斐国志』によれば「市瀬山花勝寺」と称していた。
光勝寺は 甲府から 河内地方(峡南)を経由して富士川を南下して駿河国へ至る河内路(駿州往還)沿いにあり、鎌倉時代に鎌倉幕府や源頼朝に仕えていた武田氏は、相模国,駿河国,伊豆国への往還のたびに天下泰平・武運長久を祈願していたという[2]。そのため武田信光から寺領を寄進された。武田氏の祈願寺であるとともに、元享年間(1321年-1324年)には、後醍醐天皇の 勅願寺ともなった。永禄年間(1558年-1570年)には、火災により堂宇が全焼し衰退した。天正11年(1583年)には徳川家康から寺領を寄進され、寛永19年(1642年)には徳川家光から寺領を寄進され、江戸幕府や歴代将軍からも庇護されたが、万治年間(1658年-1661年)には無住となった。そして寛文年間(1661年-1671年)には、現在の堂宇が再建された[3]。
光勝寺の千手観音菩薩は、66年に一度開帳されることから、甲斐国三十三観音霊場の3番札所の観音として信仰を集めた[4]。
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