Loading AI tools
日本の政治家 ウィキペディアから
保坂 三蔵(ほさか さんぞう、1939年5月15日 - )は、日本の政治家。
東京市(現東京都台東区)生まれ。開成高等学校、立教大学法学部法学科卒業。1962年、東京日産自動車販売株式会社に入社した。
1971年、台東区議会議員選挙に出馬し初当選。1973年に任期途中で辞職し、東京都議会議員選挙に台東区選挙区から出馬し、当選。以後6期連続当選。
1995年、任期途中で都議を辞職、第17回参議院議員通常選挙に東京都選挙区(定数5)から自由民主党公認(自由連合推薦)で出馬し、当選。1998年、小渕内閣で通商産業政務次官に就任。2001年、第19回参議院議員通常選挙で再選。2004年、第2次小泉改造内閣で経済産業副大臣に就任した。
2007年、第21回参議院議員通常選挙に3選を目指して東京都選挙区から出馬。自民党東京都連は東京都選挙区から出馬した保坂、丸川珠代のうち、保坂を「本命馬」に位置づけた組織型選挙を展開したが、結果は691,367票を獲得した丸川が4位で当選し、保坂は丸川の票を約4万票下回る651,481票に留まり、683,629票の川田龍平に次ぐ6位で落選した[1]。
2010年、第22回参議院議員通常選挙に比例区からの出馬を表明。自民党は党規の70歳定年制により、70歳を超える者は比例区で公認しない原則を掲げていたが、保坂は例外的に71歳ながら公認を受けた。しかし、全立候補者35人中19位(自民党の当選者枠は12議席)で落選した。
参院選落選後も次期参院選への立候補に意欲を見せていたが、一転、2011年4月の統一地方選挙で行われる台東区長選挙への出馬を表明、現職の吉住弘も3選出馬の意向を示したため、異例の予備選挙が行われた。予備選の結果、保坂は吉住を大差で破って自民党推薦候補に内定し[2]、自民党都連の推薦で出馬した。一方、敗れた吉住も不出馬による候補者の一本化を拒否し、区長選への出馬を表明[3]。そのため自民党から離党勧告を受け、自民党を離党して無所属で出馬した。台東区長選にはこの他、元区議の中山寛進(民主党の元衆議院議員・中山義活の長男)らも出馬したが、吉住が3選し、保坂は次点で落選した。
2017年2月、同年夏の東京都議会議員選挙に息子の保坂真宏が都民ファーストの会から立候補することが決まったことから、「けじめをつけたい」として自民党に離党届を提出。届出は同年7月3日に受理された[5]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.