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建築家 ウィキペディアから
佐藤 功一(さとう こういち、1878年(明治11年)7月2日 - 1941年(昭和16年)6月22日[1])は、日本の建築家[2]。
早稲田大学理工科の建築学科の創始者として知られる[2]。早大建築学科主任に就任してからは、同大の建築教育の基礎を築いた。以後は早大において評議員なども歴任した[2]。
作品としては関東大震災以降のものが多く、日比谷公会堂の設計、大学関連では早稲田大学のシンボルである大隈講堂や、武蔵大学、津田塾大学に作品を39年間で233件残している[2]。また東京女子高等師範学校、日本女子大学校などで教え、女性に対する住教育の草分けでもあった[3]。
佐藤の作品であることが確認されている物件は223件あり、2か月に1件のハイペースで設計していた計算になる[3]。
名称 | 年 | 所在地 | 状態 | 指定 | 備考 |
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明治記念新潟県立図書館 [6] | 1915年 | 新潟県新潟市 | 現存せず | ||
日本女子大学樟渓館 | 1926年 | 東京都文京区 | |||
早稲田大学大隈記念講堂 | 1927年 | 東京都新宿区 | 重要文化財 | ||
岩手県公会堂 | 1927年 | 岩手県盛岡市 | 登録有形文化財 | ||
鶴舞公園普選壇 | 1928年 | 愛知県名古屋市昭和区 | |||
武蔵大学大講堂 | 1928年 | 東京都練馬区 | 練馬区登録文化財 | ||
群馬県庁舎 | 1928年 | 群馬県前橋市 | 登録有形文化財 | ||
日比谷公会堂・市政会館 | 1929年 | 東京都千代田区 | 東京都指定有形文化財 | ||
米子市庁舎 | 1930年 | 鳥取県米子市 | |||
群馬会館 | 1930年 | 群馬県前橋市 | 登録有形文化財 | ||
宮城県庁舎 | 1931年 | 宮城県仙台市 | 現存せず | 1986年(昭和61年)解体。 | |
津田塾大学 | 1932年 | 東京都小平市 | 東京都選定歴史的建造物 | ||
旧足立正別邸 | 1933年 | 神奈川県葉山町 | 登録有形文化財 | ||
神田神社本殿 | 1934年 | 東京都千代田区 | 登録有形文化財 | 共同設計:大江新太郎 | |
山陽記念館 | 1935年 | 広島市中区 | 現存せず | 現頼山陽史跡資料館。被爆建物として部材の一部(テラコッタ製の手すり)のみ保存。 | |
栃木県庁舎(4代目) | 1938年 | 栃木県宇都宮市 | 一部現存 | 正面部分のみ切り取り曳家、「昭和館」として保存活用。 | |
滋賀県庁舎[7] | 1939年 | 滋賀県大津市 | 登録有形文化財 | ||
日本赤十字社広島支部病院 | 1939年 | 広島市中区 | 現存せず | 1990年11月取り壊し。被爆建物として一部のみ保存。 | |
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