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日本の三重県熊野市の地名 ウィキペディアから
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五郷の歴史は、鎌倉時代までさかのぼる。五郷の歴史で一番古い資料は同町桃崎の桃源寺に伝わる当寺開基の位牌で、正応五年(1292年)11月3日大森衛門尉藤原義家と記されている。五郷は御南朝と深い関わりがあり、文安元年(1444年)円満院円胤の挙兵に応じて、和歌山市の山東城主山東和泉守の子孫勢野太郎兵衛が兵を挙げたが、幕府の管領畠山持国に攻められ、円胤は自刃し、勢野太郎兵衛は家臣十八人を引き連れて、桃崎村に退去した。山東氏が引き連れた、家臣十八人の子孫は今でも五郷で連綿と続いている。
五郷の名の由来は、『流れ谷』によれば、桃崎、寺谷、和田、湯谷、大井谷の五つの郷が一つになったため、五郷と名付けられたという。
2019年(令和元年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 1,172人 | [4] | |
2000年(平成12年) | 1,067人 | [5] | |
2005年(平成17年) | 961人 | [6] | |
2010年(平成22年) | 832人 | [7] | |
2015年(平成27年) | 720人 | [8] |
国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 512世帯 | [4] | |
2000年(平成12年) | 475世帯 | [5] | |
2005年(平成17年) | 452世帯 | [6] | |
2010年(平成22年) | 419世帯 | [7] | |
2015年(平成27年) | 377世帯 | [8] |
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]。
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