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久保 修(くぼ しゅう、2000年9月29日[2] - )は、大阪府河内長野市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。広島東洋カープ所属。
河内長野市立千代田小学校2年から野球を始め、河内長野市立千代田中学校時代は河内長野ボーイズに所属し投手、二塁手、遊撃手を兼任。
島根県の強豪・石見智翠館高等学校に進学。当初は内野手だったが、俊足と強肩を買われ1年秋に外野手に転向。3年夏は6番を打ち県大会決勝に進出したが、益田東に敗退[3]。甲子園出場はなし。同期に4番打者を務めていた水谷瞬がいた[4]。
野球は高校で辞めるつもりだったが、同高の末光章朗監督から、元プロ野球選手でコーチの伊勢孝夫が特別アドバイザーを務める大阪観光大学(近畿学生野球連盟所属)で野球を続けることを勧められ、当時大阪観光大の監督を務めていた山本樹(元ヤクルト)が末光監督と同学年だった縁もあり進学[4]。1年春からベンチ入り。同期のチームメイトに尾田剛樹がいた。
大学2年の夏に左足首を捻挫し、コロナによる自粛も重なり野球から遠ざかった時期があったが、特別アドバイザーの伊勢から「お前がプロに行って活躍する姿を見るのがワシの夢なんや」と声を掛けられ[5]、伊勢の指導で課題だった打撃を見直し、主に1番打者として2年秋と3年秋に二部でベストナイン、4年春に一部でベストナインを受賞した。
2022年10月20日に行われたドラフト会議では、広島東洋カープから7位指名を受けた[6]。支配下選手69人中68番目の指名であった。11月15日、契約金2500万円、年俸600万円(推定)で仮契約を結んだ。背番号は56[7]。大阪観光大学からは創部11年目で初のプロ野球選手となった。
2023年は春季キャンプで左手首を捻挫し、離脱[8][9]。その後、二軍で61試合に出場し、打率.190を記録[9]。9月20日に一軍登録されたが、一軍出場はないまま、9月22日に登録を抹消された[8][10]。
2024年は開幕一軍メンバー入りし[8][11]、3月30日の横浜DeNAベイスターズ戦で代打としてプロ初出場を果たした[12]。その後、19試合出場で打率.059、0本塁打、0打点と結果を残せず、5月11日に出場登録を抹消された[12]。7月30日、「左腓骨筋腱脱臼修復術」を受けたことが発表された[12]。
50メートル走5秒9、遠投120メートル[13]。担当スカウトの鞘師智也は「足と肩は100%通用する」と評している[14]。
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