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日本の法学者 ウィキペディアから
中山 研一(なかやま けんいち、本名:乾 研一[1](いぬい けんいち)[2]、1927年1月9日 - 2011年7月31日[2])は、日本の法学者。専門は刑法。京都大学名誉教授。
滋賀県出身。虎姫中学、旧制静岡高校を経て、1953年京都大学法学部卒業。1955年助手、助教授を経て、1968年同大教授。1982年、京都大学名誉教授、大阪市立大学法学部教授。1990年北陸大学法学部教授。1998年退職。退職後も、執筆意欲は衰えを見せなかった。滝川幸辰と佐伯千仭の弟子。
専門は刑法[3]、ソビエト刑法だが、京都大学教授時代には、「暗黙の教授会申し合わせ」なるものにより、刑法学講座を担任できず、ソビエト法の講義を行っていた。京都大学定年前に京大を去って、大阪市大に移ったのも、大阪市大で刑法学を講義できるからだと言われる。
この事情について、自身のブログで、「私が職組[4]の委員長をしていた時期に、新左翼系の学生と職組との間にトラブルがあり、それが原因で、私の刑法の講義を一部の学生が妨害するという事態が発生し、そのために私は正規の講義ができず、学外で有志の学生にゼミ形式の講義をするという変則的な状態に陥った」ことが京大を去った理由であることを明らかにしている[5]。
「わたくしの立場は、滝川説から出発し、とくに佐伯・平野説の強い影響の下に形成された」と明言し[6]、結果無価値論の立場に立つ。
主著『刑法総論』は、佐伯千仭、平野龍一の刑法学説を継承する体系書であるとともに、執筆当時の通説的立場の代表であった団藤重光、大塚仁の行為無価値論的な刑法学説に対する批判の書でもあり、初期にソ連刑法を研究しただけあって、第2章「刑法の歴史と理論」では、マルクス主義的立場からの記述が目立ち、刑法改正問題にも積極的に反対の立場を明らかにした。
山中敬一は、中山の刑法学説を、佐伯・内藤謙・曽根威彦とともに「謙抑的刑事政策志向刑法理論」と位置づけ、これを「現在の国家権力を『悪』と捉える立場から、現在の国家社会への再社会化を目的とする特別予防論に対して警戒感をもち、むしろ、消極的な意味での応報主義的な刑事政策を志向する立場である。これはまた、古典的自由主義的社会観にもとづき、刑罰を害悪とみて、それをなるべく謙抑的に行使すべきだとする立場である。この立場からは、犯罪論においても、犯罪の成立範囲を狭く限定しようとし、謙抑主義を強調し、刑法の人権保障機能を重視する。それを担保するため、客観主義的・結果無価値的犯罪論体系が目指される」としている[7]。
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