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中国に伝わる神話 ウィキペディアから
中国神話(ちゅうごくしんわ)とは、中国に伝わる神話である。主に漢民族に伝わるものを指すが、広義には中国に住む少数民族の伝説や中国人が神にしようとした人間・概念の話も含まれる。
伝説や歴史や宗教の集合体で、口伝、寓話、儀式、舞踏、戯曲、書物などの形で残されている。古国時代(伝説時代)とも呼ばれる夏朝以前の歴史の一部を伝えるものでもある[1]。主に伝わっているのは、黄河の下流域にある黄河文明・中原の歴史と神話であるが、黄河文明以外の中国文明である長江文明、遼河文明、少数民族などにも異なる神話が残っており、狩猟地域では狩猟の神、農耕地域では農耕の神が祀られ、神話によっては狩猟生活から農耕へ移行したことを伝えるものもあるなど文化ごとの歴史的特色がみられる。
中国の古代神話研究の第一人者である袁珂は、それまで複数の文献資料に断片的に残っていた中国神話をまとめ上げて、体系化した。これにより、中国神話研究の利便性が向上し、今後の中国神話研究者や中国神話について知りたいという人たちが、容易に中国神話の全貌を理解し、出典へのアクセスも格段に容易となった。
また、袁珂は中国神話の全貌を認識するためには、視野を拡大し、「神話」を広義に理解する必要がある[2]との見解を示している。そして、様々な歴史的な時期に随時新しい神話が生まれることを認めることが重要である[2]としている。
例に挙げると、明代に成立した『西遊記』や『封神演義 』に登場する神仙には、西王母や女媧といった古くから信仰されていた神仙が登場するが、孫悟空といった本書が初出の神仙も信仰対象となるケースが存在する。関羽の神格化も、この袁珂の提唱する広義の神話に含まれるものと言える(詳細は関羽の記事を参照)。
そのほかに、福禄寿喜財などの概念を道教では福星、禄星、寿星、喜神、財神といった形で崇め、日本には福禄寿の形で伝わった。
日本における中国神話研究は、資料も少なく断片的であるため、中国神話学も発達していない。中国神話に関して、史書の多くが神話時代を扱わないため「神話なき国」とされがちであった[3]としている。中国文化学者の伊藤清司は、「中国の神話は古文献の行間に断片的に散見するのみ」と述べており[4]、その理由として「紙を発明して歴史や政治の記録資料が豊富な中国で神話の資料や遺産が少ないのは極めて不思議なことだが、当時の知識人の熱量が神話より当時の政治・戦争情勢などの問題を解決する方に向いていたことによる」という見解を示している[5]。また、中国の思想書である『論語』には、「怪力乱神を語らず」とあり、君子は怪力乱神などの怪しい情報を語ることはないとしたことも影響しているとみる人もいる[6]。
古典資料としては『山海経』、『水経注』、『書経』、『九歌』、『史記』、『礼記』、『楚辞』、『呂氏春秋』、『国語』、『春秋左氏伝』、『淮南子』などで体系的ではないにしろ、漢民族の神話を垣間見ることができる[3]。ただし、これら全てが漢民族本来の伝承であったか、さまざまな民族の干渉や逆に他民族の伝承由来であるかは定かではなく、中国神話学の重要な課題と考えられている[3]。古典以外の資料では、道教や仏教などの影響を受けた著者による改竄もみられる[2]。
中国の古代神話研究の第一人者である袁珂は、中国神話に含めるべきものを九つに分類したが、そのうち重要なものを神話・伝説・仙話・歴史としている[7]。
同時に、これらは明確に区別すべきではないこと、そして古代の口承の伝説においては、それらは実際には互いに包摂し合っており、区別できないとも述べている[7]。
昔のひとは、これらを想像力や中国の民俗宗教、儒教、仏教、道教などの影響を受けて変化・発展させた。世界を切り開き死骸で世界を作った盤古は、道教に取り入れられ元始天王(元始天尊)と呼ばれ、太元玉女(太元聖母)を妻とし、天皇を子とした。
主なもの。
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