不動院 (広島市)
広島市東区にある仏教寺院 ウィキペディアから
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不動院(ふどういん)は、広島県広島市東区にある真言宗別格本山(広島県真言宗教団[1][2])の寺院。
不動院 | |
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金堂(国宝) | |
所在地 | 広島県広島市東区牛田新町3-4-9 |
位置 | 北緯34度25分37.3秒 東経132度28分16.0秒 |
山号 | 新日山 |
宗派 | 真言宗別格本山(広島県真言宗教団) |
本尊 | 薬師如来 |
創建年 | 平安時代(推定) |
開基 | 伝・空窓 |
正式名 | 新日山 安国寺 不動院 |
別称 | 安芸安国寺 |
文化財 | 金堂(国宝)、鐘楼、楼門、薬師如来坐像、梵鐘(重要文化財)他 |
法人番号 | 3240005000539 |
本尊は薬師如来。山号は新日山。足利尊氏・直義兄弟が諸国に設けた安国寺利生塔の一つという(安芸国安国寺)。全国安国寺会会員寺院。
開基は行基とも伝えられるが、創建年代や由緒については諸説ある。本尊薬師如来像の様式から平安時代には創建されていたと推察されている。足利尊氏、直義兄弟が日本六十余州に設立した安国寺の一寺で、安芸安国寺として、又、安芸国守護武田氏の菩提寺として繁栄した。
しかし、戦国時代には戦火により伽藍が焼失し武田氏も滅亡したが、毛利氏の外交僧安国寺恵瓊により復興された。関ヶ原の戦いで西軍に組した恵瓊は処刑され、毛利氏も転封後、福島正則が芸備両国の大名として入国し、正則の祈祷僧である宥珍が安国寺に入り住持となった。この時、宗派を禅宗から真言宗に改め、不動明王を本尊とし不動院と称した。後に浅野氏が国主として広島に入ると、浅野家歴代藩主の保護を受け明治に至った。
第二次世界大戦中は牛田の住民のみならず中国軍管区司令部通信部など様々な機関の疎開先に指定されていた。1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下により被爆。ここは爆心地から約3.90kmに位置した。爆風により金堂の屋根の一部が吹き飛び、本堂の柱の1本が中央から折れたものの、全体では倒壊は免れている。当日は市中心部から北へ避難してくる被爆者の受け入れ先として機能し、境内にはたくさんの負傷者で溢れかえった。
1958年に金堂が国宝に指定された。1993年に広島市に現存する被爆建物リストに登録されている。
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