下頓別駅
日本の北海道枝幸郡浜頓別町にあった北海道旅客鉄道の駅(廃駅) ウィキペディアから
下頓別駅(しもとんべつえき)は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡浜頓別町字下頓別にかつて置かれていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はシト。事務管理コードは▲121907[2]。

歴史
- 1918年(大正7年)8月25日 - 鉄道院宗谷線中頓別駅 - 浜頓別駅間の延伸開通に伴い、開業[1]。一般駅[1]。
- 1919年(大正8年)10月20日 - 路線名を宗谷本線に改称し、それに伴い同線の駅となる。
- 1924年(大正12年) - ウツナイ川上流から駅土場へウツナイ森林軌道敷設。最長時(1936年)17.4キロ[3]
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から削除し路線名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1944年(昭和19年) - ウツナイ森林軌道撤去。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 路線名が天北線に改称され、同線の駅となる。
- 1982年(昭和57年)6月1日 - 貨物・荷物の取り扱いを廃止[1][4]。それに伴い列車交換設備の運用を停止し、同時に無人駅化[5]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
- 1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
→「頓別」の由来については「頓別川」を参照
駅構造
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した[8]。分岐器を持たない棒線駅となっていた。かつては単式ホーム2面2線を有する、列車交換可能な交換駅であった。交換設備運用廃止後は線路は撤去されたが、ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲していた[8]。
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホーム中央部分に接していた。木造板壁で木枠の窓の駅舎であった[8]。
利用状況
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
駅周辺
小さな集落がある。
- 北海道道586号豊牛下頓別停車場線
- 国道275号(頓別国道)
- 下頓別郵便局
- 浜頓別町立下頓別中学校
- 浜頓別町立下頓別小学校
- 頓別川[11]
- 宗谷バス天北宗谷岬線「下頓別」停留所
駅跡
1997年(平成9年)時点では、ホームのみ残存していた[12]。2010年(平成22年)時点でも同様で駅名標も設置されていた[13]が、駅名標はレプリカであり、そのほか信号機も設置されている[14]。
隣の駅
宇津内森林軌道
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脚注
関連項目
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