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上野原城(うえのはらじょう)は、甲斐国(現在の山梨県上野原市上野原)にあった日本の城。
上野原城 (山梨県) | |
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天守構造 | なし |
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
廃城年 | 天正10年(1582年) |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯35度37分25.9秒 東経139度6分32.9秒 |
上野原城は武蔵七党の古郡氏が築いた城である[1][2]。横山忠重が康治年間、古郡郷の別当大夫となり、古郡姓を称した。建暦3年(1213年)、古郡保忠の時に、和田合戦で敗れ滅亡した[3]。
その後、武田信玄の時代には、都留郡上野原の国衆で、武田氏の家臣・加藤氏が入城した。天正10年(1582年)3月、武田勝頼が織田信長に敗れ、天目山の戦いで窮地に陥った際には、加藤信景(加藤景忠の子)は主君救援のため、駆けつけようとしたが、武蔵国箱根ヶ崎(東京都瑞穂町)において相模国の北条氏政に敗れて滅亡した。
現在、城跡遺構は宅地開発や高速道路建設で消滅している。
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