上原 エドウィン(うえはら えどうぃん、Edwin Uehara、1969年7月21日 - )は、ペルー・リマ市出身の元サッカー選手。ポジションはMF(攻撃的MF)。帰化以前の氏名はエドウィン・アレハンドロ・ウエハラ・カネコ(Edwin Alejandro UEHARA Kaneko)。
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名前 | ||||||
カタカナ | ウエハラ エドウィン | |||||
ラテン文字 | Edwin Uehara | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1969年7月21日(55歳) | |||||
出身地 | ペルー・リマ | |||||
身長 | 169cm | |||||
体重 | 65kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1987-1988 | デポルティーボ・アエル | |||||
1989 | スポルティング・クリスタル | |||||
1990-1992 | デポルティーボ・アエル | |||||
1992-1995 | 浦和レッズ | 23 | (1) | |||
1996 | 鳥栖フューチャーズ | 21 | (4) | |||
1997 | ウニベルシタリオ・デポルテス | |||||
1997 | FBCメルガル | |||||
1998-2000 | デポルティーボ・アエル | |||||
通算 | 44 | (5) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
沖縄県出身の祖父母を持つ日系3世。日系人を中心とするクラブであるデポルティーボ・アエルからプロデビューし、1989年にはペルーの強豪スポルティング・クリスタルに在籍した[1]。
1991年に浦和レッドダイヤモンズからオファーを受け、兄弟が日本にある日産の工場で働いていたため、1992年6月に来日が決まった[1]。個人技の高さでレギュラーの座を掴み、天皇杯ベスト4進出に貢献した。1993年は外国人枠の関係でクラブ側から帰化を打診され、翌1994年5月に認可され「上原エドウィン」と改名した。しかし、故障の影響により目立った活躍が出来ず、1996年に鳥栖フューチャーズへ移籍。1997年には故郷のペルーへ帰国した。
所属クラブ
- 1987年-1988年
デポルティーボ・アエル
- 1989年
スポルティング・クリスタル
- 1990年-1992年
デポルティーボ・アエル
- 1992年-1995年
浦和レッドダイヤモンズ
- 1996年
鳥栖フューチャーズ
- 1997年
ウニベルシタリオ・デポルテス
- 1997年
FBCメルガル
- 1998年-2000年
デポルティーボ・アエル
個人成績
脚注
関連項目
外部リンク
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