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鎌倉時代後期~南北朝時代の公卿。正二位・権大納言、侍従。勅撰集『続千載和歌集』以下に12首入集。子に季氏 ウィキペディアから
三条 公明(さんじょう きんあきら)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。民部卿・正親町三条実仲の子。初名は公忠。官位は正二位・権大納言、侍従。三条と号し、侍従大納言と称される。
父・実仲は正親町三条家の出身であるが、公秀が崇光天皇と後光厳天皇の外祖父となり、北朝の外戚家となった正親町三条家とは分けて考えるべきである。さらに家名に関して、公明は後醍醐天皇に重用されたため、正親町三条家庶流の三条家と称すべきである。
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
父・実仲は非参議の従二位民部卿までしか昇進できず、民部卿も在任期間が短かった。そうした父の経歴に比べると、公明は上記経歴に見えるように父とは違って数々の顕官を兼ねている。これは後醍醐天皇に側近として取り立てられた結果と考えざるを得ないのである[2]。そのため「元弘の乱」では公明も幕府に捕縛されたのだが、特に処罰を受けずに釈放され、「建武の新政」では再び顕職を兼ねることになった。
『徒然草』第103段に「侍従大納言公明卿」として登場する。典薬頭丹波忠守にからかいの言葉を投げかけた、という場面が描かれている[3]。この段には「大覚寺殿にて、近習の人ども」という表現が見られることから、やはり公明は大覚寺統派の公卿なのである。
なお、前段の第102段では中院光忠が登場するのだが、後醍醐天皇に近い公卿の記事が続いているのである。
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