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韓国のサッカークラブ ウィキペディアから
城南FC(ソンナムFC、朝鮮語: 성남 FC、英語: Seongnam FC)は、韓国の北西部、京畿道の城南市をホームタウンとするサッカークラブである。韓国プロサッカーリーグ・Kリーグに加盟している。
かつては「世界基督教統一神霊協会」(旧統一教会、現・世界平和統一家庭連合)系企業の一和(イルファ)をスポンサーとしており、クラブにも教団の色が現れていた。一和は高麗人参濃縮茶、メッコールの製造元である。炭川総合運動場をホームスタジアムに使用している。
しかし統一教会設立者・総裁である文鮮明が2012年9月に死去した後、統一教会グループはスポーツ関連事業から手を引き、チームの財政自立を求めた。また、チームの財政難が深刻なこともあるため、2013シーズンをもって「城南一和天馬」の名前が消えることが濃厚となっていた。ホームタウンを安山市へと移転する案もあったが、2013年10月2日、城南市は市民クラブとして城南一和を買収して再生させることを発表した。チーム名変更に伴い、エンブレムもペガサス(天馬)からカササギ(城南市の鳥)に変更されている。
クラブは1988年にソウル江北地区を本拠地として、一和天馬(イルファ・チョンマ、일화 천마)のクラブ名で創設された。1993年から国内リーグを3連覇、1995年にはアジアクラブ選手権にも優勝して、1996年のAFC選定年間最優秀クラブ賞を受賞した[1]。
1996年に本拠地を天安市に移し、天安一和天馬(チョナン・イルファ・チョンマ、천안 일화 천마)に改称。1998年から2年連続で最下位になるなど低迷した。2000年からは本拠地を城南市に移し、城南一和天馬(ソンナム・イルファ・チョンマ、성남 일화 천마)に改称。2001年からリーグを3連覇した。豊富な資金力で次々とスター選手を獲得したことから、この時期は「韓国版レアル・マドリード」と呼ばれた[2]。
AFCチャンピオンズリーグには2002年~2003年開催の第1回大会で初出場したが、この時はグループリーグで敗退。続く2004年の第2回大会にも出場し、決勝進出。決勝戦ではアル・イテハド(サウジアラビア)と対戦し、アウェーでの第1戦を3-1で勝利するが、続くホームでの第2戦を0-5で落とし、逆転で優勝を逃す。その後、2年連続で出場を逃したが、2007年大会で3年ぶりの出場。この時は準決勝で浦和レッズ(日本)と対戦し、第1戦・第2戦ともに2-2で引き分け、アウェーゴールも同点となり延長戦でも決着せず。PK戦にまでもつれ込んだが、そのPK戦を3-5で落とした。3年後の2010年大会では2度目の決勝進出。日本(東京・国立霞ヶ丘競技場陸上競技場)で行われた決勝戦ではゾブ・アハン・エスファハーンFC(イラン)を3-1で降し、初優勝。アジア代表として同年のFIFAクラブワールドカップに出場し、4位となる。
2014年のKリーグクラシックから城南FC(ソンナムFC、성남 FC)でリーグ戦に参加している。2016年はKリーグクラシック11位で昇降プレーオフに出場し江原FCに敗れ、2017年からクラブ史上初のKリーグチャレンジ降格となった。
2018年、Kリーグ2で2位となり、同年1位だった牙山ムグンファFCにKリーグ1へ昇格する資格がなかったため、2019年より3年ぶりにKリーグ1へ復帰する。
2022年7月、城南市長交代に伴い球団代表が新市長の申相珍に交代すると、市の予算の100億ウォンを費やしKリーグ1で残留争いを続けるチームを敵視する発言を繰り返し、クラブの解体もしくは売却、アマチュア化しK4リーグへの自主降格などを示唆されるようになる。それに対し、城南FCサポータークラブ一同団体blacklistが猛反対と抗議活動が活発化、Kリーグ各クラブのサポーター団体もそれに呼応し城南FCの存続を願う運動が行われている[3]。
シーズン | ディビジョン | 韓国FAカップ | チャンピオンシップ | ||||||||
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リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | |||
1989 | Kリーグ | 5位 | - | 大会なし | |||||||
1990 | Kリーグ | 6位 | - | 大会なし | |||||||
1991 | Kリーグ | 5位 | - | 大会なし | |||||||
1992 | Kリーグ | 2位 | - | 大会なし | |||||||
1993 | Kリーグ | 1位 | - | 大会なし | |||||||
1994 | Kリーグ | 1位 | - | 大会なし | |||||||
1995 | Kリーグ | 前期1位 後期7位 | - | 優勝 | |||||||
1996 | Kリーグ | 前期9位 後期5位 | 準々決勝敗退 | 資格なし | |||||||
1997 | Kリーグ | 8位 | 準優勝 | 大会なし | |||||||
1998 | Kリーグ | 10位 | 準々決勝敗退 | 資格なし | |||||||
1999 | Kリーグ | 10位 | 優勝 | 資格なし | |||||||
2000 | Kリーグ | 3位 | 準優勝 | 3位 | |||||||
2001 | Kリーグ | 1位 | 準々決勝敗退 | 大会なし | |||||||
2002 | Kリーグ | 1位 | 準決勝敗退 | 大会なし | |||||||
2003 | Kリーグ | 1位 | ベスト16 | 大会なし | |||||||
2004 | Kリーグ | 前期8位 後期9位 | ベスト32 | 資格なし | |||||||
2005 | Kリーグ | 前期6位 後期1位 | ベスト16 | 1回戦敗退 | |||||||
2006 | Kリーグ | 前期1位 後期9位 | ベスト32 | 優勝 | |||||||
2007 | Kリーグ | 2位 | ベスト16 | 準優勝 | |||||||
2008 | Kリーグ | 5位 | 準々決勝敗退 | 1回戦敗退 | |||||||
2009 | Kリーグ | 2位 | 準々決勝敗退 | 準優勝 | |||||||
2010 | Kリーグ | 5位 | 準々決勝敗退 | 2回戦敗退 | |||||||
2011 | Kリーグ | 30 | 9 | 8 | 13 | 43 | 47 | 35 | 10位 | 優勝 | 資格なし |
2012 | Kリーグ | 44 | 14 | 10 | 20 | 47 | 56 | 52 | 12位 | ベスト16 | 大会なし |
2013 | Kクラシック | 38 | 17 | 9 | 12 | 51 | 42 | 60 | 8位 | ベスト16 | |
2014 | Kクラシック | 38 | 9 | 13 | 16 | 32 | 39 | 40 | 9位 | 優勝 | |
2015 | Kクラシック | 38 | 15 | 15 | 8 | 41 | 33 | 60 | 5位 | 準々決勝敗退 | |
2016 | Kクラシック | 38 | 11 | 10 | 17 | 47 | 51 | 43 | 11位 | 準々決勝敗退 | |
2017 | Kチャレンジ | 37 | 13 | 14 | 10 | 38 | 31 | 53 | 4位 | 準々決勝敗退 | |
2018 | Kリーグ2 | 36 | 18 | 11 | 7 | 49 | 36 | 65 | 2位 | ベスト32 | |
2019 | Kリーグ1 | 38 | 12 | 9 | 17 | 30 | 40 | 45 | 9位 | ベスト32 | |
2020 | Kリーグ1 | 27 | 7 | 7 | 13 | 24 | 37 | 28 | 10位 | 準決勝敗退 | |
2021 | Kリーグ1 | 38 | 11 | 11 | 16 | 34 | 46 | 44 | 10位 | ベスト16 | |
2022 | Kリーグ1 | 37 | 7 | 8 | 22 | 33 | 66 | 29 | 12位 | ベスト16 |
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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