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ワダダ・レオ・スミス[1](Wadada Leo Smith、1941年12月18日 - )は、アメリカ人のトランペッターにして作曲家であり、主にアヴァンギャルド・ジャズとフリー・インプロヴィゼーションの分野で活動している[2]。2012年5月22日にリリースされたアルバム『Ten Freedom Summers』によって、2013年のピューリッツァー賞 音楽部門におけるファイナリスト3人のうちの1人となった[3]。
ワダダ・レオ・スミス Wadada Leo Smith | |
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ワダダ・レオ・スミス (Photo by Tom Beetz) | |
基本情報 | |
出生名 | Leo Smith |
別名 | Ishmael Wadada Leo Smith |
生誕 | 1941年12月18日(83歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ミシシッピー州リーランド |
ジャンル | アヴァンギャルド・ジャズ、フリー・インプロヴィゼーション |
職業 | 音楽家、作曲家 |
担当楽器 | トランペット |
共同作業者 |
クリエイティヴ・コンストラクション・カンパニー New Dalta Ahkri |
公式サイト |
www |
スミスはミシシッピー州リーランドで生まれた。自分の楽器がトランペットに落ち着く前には、ドラム、メロフォン、そしてフレンチホルンの演奏を行っていた。さまざまなリズム・アンド・ブルースのグループで演奏した後、1967年までにAACMのメンバーとなり、リロイ・ジェンキンス、アンソニー・ブラクストンとのトリオであるクリエイティヴ・コンストラクション・カンパニーを共同で結成した。1971年、スミスは自身のレーベル「Kabell」を設立。また、ヘンリー・スレッギル、アンソニー・デイヴィス、オリヴァー・レイクなどのメンバーと一緒に別のバンド、New Dalta Ahkriを結成した。
1970年代に、スミスはウェズリアン大学で民族音楽学を学んだ。その頃、再びアンソニー・ブラクストンと共演し、同時にデレク・ベイリーのカンパニーとも共演した。1980年代半ば、スミスはラスタファリアン(ラスタファリ運動の実践者)となって、「ワダダ」という名前を使い始めた。1993年にはカリフォルニア芸術大学で教鞭をとるようになり、2014年まで続けることとなった。トランペットとフリューゲルホルンに加えて、スミスは箏、カリンバ、atenteben(ガーナの竹笛)を含むいくつかの世界の楽器を演奏している。また、楽器を作成するコースも教えてきた。彼の作曲には、しばしば1970年に開発した「Ankhrasmation」と呼ばれる図形譜のシステムが使われている。
1998年、スミスとギタリストのヘンリー・カイザーは、マイルス・デイヴィスの当時あまり知られていなかった1970年代エレクトリック期へのオマージュ作品『ヨ・マイルス!』をリリースした。このアルバムでは、スミス、カイザーに加え、大勢のミュージシャンが、マイルスのエレクトリック・ミュージックにインスパイアされたカバー・ヴァージョンやオリジナル作品をレコーディングした。続編の『Sky Garden』(2004年にキュニフォームよりリリースされた)と『Upriver』(2005年リリース)は、また違うミュージシャンによってレコーディングされた。どちらののラインナップでも、マイケル・マンリングのベースがフィーチャーされた。
スミスが率いるグループ、ゴールデン・カルテット(彼はこの名義でいくつかのアルバムをリリースした)は、もともとドラムのジャック・ディジョネット、キーボードのアンソニー・デイヴィス、そしてベースのマラカイ・フェイバースをフィーチャーしていた。何度かのメンバー・チェンジを経て、ゴールデン・カルテットは新たにドラムのフェローン・アクラフ、ベースのジョン・リンドバーグ、ピアノのデイヴィスをフィーチャーするようになった。
2000年代には、スミスはジョン・ゾーンのレーベルであるツァディク、およびパイ・レコーディングスでアルバムをレコーディングした。2008年に、彼とゴールデン・カルテットは『Freedom Now』というタイトルのDVDを発売した。
マリオン・ブラウン
アンソニー・ブラクストン
クリエイティヴ・コンストラクション・カンパニー
アンドリュー・シリル
フランク・ロウ
マシュー・シップ
ジョン・ゾーン
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