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1912-1994, フランスの写真家 ウィキペディアから
ロベール・ドアノー(Robert Doisneau, 1912年4月14日 - 1994年4月1日)は、フランスの写真家。主として報道写真やファッション写真の分野で活躍した。ロベール・ドワノーと記載されることもある。欧米での展覧会多数。
ヴァル=ド=マルヌ県のジャンティイ生まれ。父親は配管工であった。1934年に結婚してオー=ド=セーヌ県のモンルージュに新居を構え、終生をそこで過ごした。彼が4歳のころ、父は第一次大戦で死亡し、母は彼が7歳の時に死去、彼はおばさんに引き取られるという、厳しい幼少期を過ごした[1][2]。
工芸学校で石版印刷工の資格を取って働いた後、1931年にアンドレ・ヴイニョー[3]の助手となり、1932年に独立。1934年から1939年まではルノーに勤務して工場内の記録写真を担当。しかし、プリントの出来栄えにこだわるあまり遅刻が重なり、解雇される。その後フランス軍に入るが、1940年に結核を発症して除隊となる。第二次大戦中は自由フランスのレジスタンスに参加。1945年から1947年にかけてはフランス共産党に所属し、左翼系の芸術家たちとの交流を持った。
1949年にヴォーグ・フランス誌とフォトグラファーとして契約。ファッション写真を手がけつつ、夜な夜なロベール・ジローとともにパリの町中を歩き回って撮影を行った。パブロ・ピカソやジャン・コクトー、シモーヌ・ド・ボーヴォワールなど多数の芸術家たちの肖像写真も手がけた。
1984年にレジオンドヌール勲章と Chevalier の称号を授与された[4]。
1994年4月1日に81歳で死去。
パリの恋人たちのキスの場面を捉えた作品(「パリ市庁舎前のキス」(Le Baiser de l'hôtel de ville, Kiss by the Hotel de Ville)、1950年。写真集の表紙ともなっている。[5])はドアノーの作品の中でも特に有名であるが、後にこの作品は「演出作品」であったということが判明した。なお、この作品は写真壁画となって、東京都写真美術館の1階外壁に掲げられている(3点のうちの1点。残りの2点は、ロバート・キャパと植田正治)。
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