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ロベルト・ロルフォ ( Roberto 'Roby' Rolfo, 1980年3月23日 - ) は、イタリア・トリノ出身のオートバイレーサー。2011年はスーパーバイク世界選手権に参戦する。
ロベルト・ロルフォ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ロベルト・ロルフォ 2005年3月19日撮影(24歳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | イタリア | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 |
1980年3月23日(44歳) イタリア、トリノ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在のチーム | チーム・ペデルチーニ カワサキ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゼッケン | 44 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウェブサイト | robyrolfo.eu | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ロードレース世界選手権250ccクラスには1996年にワイルドカード枠でデビューを果たした。1997年にはヨーロッパ選手権でシリーズ3位となり、ロルフォは1998年から世界選手権にフル参戦を開始した。初年度のベストリザルトはアルゼンチンGPでの5位となった。1999年もカタルニアGPでの5位がベスト、翌2000年は6位より上のフィニッシュが出来なかった。
2001年は飛躍の年となった。Safilo チームでプライベーター仕様のアプリリアを駆り、16戦中14戦でポイントを獲得し、ワークスアプリリアライダーのジェレミー・マクウィリアムス、リカルド・シャレロを上回るシリーズランキング4位に入った。第5戦イタリアGPで自身初の表彰台を獲得し、他にも3度表彰台に立つ。
2002年はフォルツナ・ホンダ・グレシーニチームに移籍し、加藤大治郎が王座を獲得した前年で開発が終了したNSR250を手に入れ、16戦中15戦でポイント獲得する安定した走りを見せ、5回2位表彰台を獲得。マルコ・メランドリ、フォンシ・ニエトに次ぐシリーズ3位の成績を残した。
翌2003年、ホンダのワークスバイクがNSR250からRS250RWに切り替えたロルフォはさらに活躍を続けた。第9戦ドイツGPで自身初優勝、第15戦オーストラリアGPで2勝目を挙げ、チャンピオン争いを繰り広げた。最終戦バレンシアでは、ロルフォが優勝し、マヌエル・ポジャーリが3位以下に終わればチャンピオンを獲得できる計算だったが、ロルフォは7位に沈み、シリーズランキング2位に終わった。
2004年はバイクの設計が小柄なダニ・ペドロサ仕様になり、小型すぎたことで、好調を維持することができなかった。第2戦スペインGPで勝利を挙げたものの、表彰台はこの1回限りとなり、シリーズランキングは8位に沈んだ。
2005年はMotoGPクラスにステップアップを果たした。プラマック・ダンティーン チームで1年落ちのドゥカティ・デスモセディチ、ダンロップタイヤのパッケージで戦ったが、マシンは明らかに戦闘力に劣っており、ロルフォは最高位10位、シリーズランキング18位に終わった。
2006年はMotoGPのシートを見つけることができず、スーパーバイク世界選手権 (SBK)に戦いの場を移すことになった。カラッチ・チームでプライベーター仕様のドゥカティを駆ったロルフォは、カタールでのデビューレースでは7位、第2戦フィリップアイランドのレース1では5位と良好な滑り出しを見せたが、その後は好調を維持することができず、シリーズランキングは16位に終わった。
翌2007年はホンダ勢のトップチームであるテンケイト・チームに移籍した。モンツァとシルバーストンでのレースで4位に入ったのが最高位となり、シリーズランキングでは8位に成績を伸ばしたが、自身2度目のワールドチャンピオンに輝いたチームメイト、ジェームス・トスランドの前ではその活躍も霞んでしまった。
2008年は同じホンダ系のアルテア・チームに移籍する。5月にはマウンテンバイクでの事故で鎖骨を骨折し、第5戦モンツァを欠場した[1]。シングルフィニッシュは第12戦バレルンガでの8位ただ一度に留まり、シリーズランキングは17位に沈んだ。
2009年はスティッギー・ホンダ・チームに移籍し開幕から2戦を戦ったが、その後ジョン・ホプキンスにシートを奪われてしまった[2]。
スーパーバイクでのシートを失った後、ロルフォはエスキル・スッター率いるスッター・レーシング・テクノロジー製のMoto2プロトタイプマシンのテストライダーを務め、スペイン選手権へテストを兼ねて参戦した[3]。ロードレース世界選手権Moto2クラス初年度となる2010年には、イタルトランスS.T.R.チームからグランプリに復帰を果たした[4]。ロルフォは第8戦ドイツGPで3位表彰台を獲得、そして第15戦マレーシアGPで6年ぶりの勝利を遂げた。しかし年間を通して見るとパフォーマンスが安定せず、シリーズランキングは14位に終わった。
2011年シーズン、ロルフォはスーパーバイク世界選手権に戻り、チーム・ペデルチーニで新型カワサキ・ニンジャZX-10Rを駆ることになった[5]。
シーズン | クラス | バイク | 出走 | 優勝 | 表彰台 | PP | FL | ポイント | 順位 |
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1996年 | 250cc | アプリリア | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - |
1998年 | 250cc | TSR | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 61 | 12位 |
1999年 | 250cc | アプリリア | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 62 | 14位 |
2000年 | 250cc | アプリリア | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 26 | 16位 |
2001年 | 250cc | アプリリア | 16 | 0 | 4 | 0 | 0 | 177 | 4位 |
2002年 | 250cc | ホンダ | 16 | 0 | 7 | 0 | 2 | 219 | 3位 |
2003年 | 250cc | ホンダ | 16 | 2 | 6 | 0 | 0 | 235 | 2位 |
2004年 | 250cc | ホンダ | 15 | 1 | 1 | 0 | 1 | 116 | 8位 |
2005年 | MotoGP | ドゥカティ | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 25 | 18位 |
2010年 | Moto2 | スッター | 17 | 1 | 2 | 0 | 0 | 75 | 14位 |
合計 | 136 | 4 | 20 | 0 | 3 | 996 |
年 | クラス | マシン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 順位 | ポイント |
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2004年 | 250 cc | ホンダ | RSA 9 |
SPA 1 |
FRA Ret |
ITA 7 |
CAT Ret |
NED 9 |
BRA 7 |
GER 6 |
GBR DNS |
CZE 6 |
POR 10 |
JPN 7 |
QAT 7 |
MAL Ret |
AUS 10 |
VAL 7 |
8位 | 116 | |
2005年 | MotoGP | ドゥカティ | SPA 15 |
POR 13 |
CHN 16 |
FRA 15 |
ITA 17 |
CAT 14 |
NED 18 |
USA Ret |
GBR 10 |
GER 14 |
CZE 17 |
JPN Ret |
MAL 13 |
QAT 12 |
AUS 13 |
TUR 16 |
VAL Ret |
18位 | 25 |
2010年 | Moto2 | スッター | QAT 5 |
SPA 12 |
FRA 10 |
ITA 18 |
GBR 24 |
NED Ret |
CAT Ret |
GER 3 |
CZE Ret |
IND 25 |
SMR 10 |
ARA 19 |
JPN 9 |
MAL 1 |
AUS 26 |
POR Ret |
VAL 25 |
14位 | 75 |
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