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ロバート・ワイアット(Robert Wyatt、1945年1月28日- )は、イングランド出身のロック・ミュージシャン、シンガーソングライター、元ドラマー。
ロバート・ワイアット Robert Wyatt | |
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基本情報 | |
出生名 | Robert Wyatt-Ellidge |
生誕 | 1945年1月28日(79歳) |
出身地 | イングランド ブリストル |
ジャンル |
カンタベリー・ロック プログレッシブ・ロック ジャズ・ロック サイケデリック・ロック 実験音楽 |
職業 |
ミュージシャン シンガーソングライター |
担当楽器 | ドラム、ボーカル、パーカッション、キーボード、トランペット |
活動期間 | 1963年 - 現在 |
レーベル |
CBSレコード ヴァージン・レコード ラフ・トレード・レコード ドミノ・レコーズ |
共同作業者 |
ワイルド・フラワーズ ソフト・マシーン マッチング・モウル |
若き日は、カンタベリー・ロック・バンドの「ソフト・マシーン」や「マッチング・モウル」に在籍。事故でドラマーの道を絶たれてからは、ソロ・シンガーとして活動した。
1960年代はカンタベリー・ミュージックの始祖「ワイルド・フラワーズ」で活動した後、同バンドから発展したジャズ・ロックを代表するバンド「ソフト・マシーン」のドラマー兼ボーカリストとして1968年にデビュー。1970年には初のソロ・アルバムを発表し、また、シド・バレットのソロ・アルバム『帽子が笑う…不気味に』でもドラムを叩いた。しかし、ソフト・マシーンと、自分の音楽性との乖離が顕著となり、アルバム『4』(1971年)では自身の曲が一つも入らず、またボーカル曲も一曲もなくなり、同作を最後にバンドを去る。
ソフト・マシーン脱退後、1971年11月にはベルリンにおけるフェスティバルのためにニュー・ヴァイオリン・サミットを結成する。また、デイヴ・シンクレアらと「マッチング・モウル」を結成して、1972年に2枚のアルバムを発表した。
しかし、とあるパーティの席上で、テキーラとウィスキーを飲み酔ったまま4階の窓から転落して重傷を負い、その後遺症で下半身不随となる。ドラマー生命は絶たれることになったが、多くのミュージシャン仲間に支えられ、ニック・メイスンがプロデュースを担当したソロ・アルバム『ロック・ボトム』(1974年)で、シンガーソングライターとしてカムバックを果たした。
その後もマイペースな活動を続けていたが、2014年に英国の音楽誌「Uncut」のインタビューにて、音楽創作からの引退を発表した[1]。
他のアーティストとの交流も盛んで、ブライアン・イーノ『アンビエント1/ミュージック・フォー・エアポーツ』(1978年)、坂本龍一『ビューティ』(1989年)、ビョーク『メダラ』(2004年)、デヴィッド・ギルモア『オン・アン・アイランド』(2006年)、ポール・ウェラー『22ドリームス』(2008年)等にゲスト参加。デヴィッド・ギルモアのライブに度々ゲスト出演しており、ライブDVD『デヴィッド・ギルモア/イン・コンサート』(2002年)でも歌唱するワイアットの姿がある。
※ライブ・アルバムについては「 ソフト・マシーン#ディスコグラフィ」を参照
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