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ロッキード L-18 ロードスター(Lockheed L-18 Lodestar)は、アメリカ合衆国のロッキード社が1930年代末期に開発したレシプロ双発の民間向け旅客機である。愛称のロードスターは、「北極星」を意味する。
ロッキード L-18 ロードスター
L-18 ロードスター、ナショナル航空
第二次世界大戦ではアメリカ軍でも輸送機として使用され、陸軍ではC-56・C-57・C-60 、海軍や海兵隊ではR5Oの形式名が付けられて運用された。
L-18ロードスターを元にしたアメリカ海軍向け哨戒機/爆撃機としてPV-1 ヴェンチュラ、PV-2 ハープーンが開発されている。
1937年に初飛行したロッキード L-14 スーパーエレクトラは性能的には良かったものの、既に広く販売されておりかつL-14よりもより大きな機体を持つダグラス社のDC-3と比較して高価であったため、セールスは伸び悩んでいた[2]。ロッキード社はL-14の機体を延長して座席数を増やすことにより経済性を改善させようと考え、これがモデル18 (L-18) "ロードスター"となった[3]。
最初の試作機はL-14の完成機を改造して製作され、1939年9月21日に初飛行に成功した。L-18の新造機は1940年2月2日に初飛行した[4]。L-18は各型式あわせて625機が生産された[1]。
L-18は1940年3月30日に型式証明を取得し、最初の顧客となったミッドコンチネント航空に引き渡された[5]。L-18は座席数増加によって乗客あたりの運用コストはDC-3と同等レベルに改善していたが、既にDC-3を導入済みの航空会社も多く、販売はやや低調に推移した。結局、L-18のアメリカ国内の民間航空会社への販売は31機にとどまった[6]。
海外顧客への販売は、オランダ領東インド諸島の政府機関から29機の注文があったこともあってアメリカ国内よりは少し良かった。民間航空会社への販売としては、南アフリカ航空へ21機、ニュージーランド・ナショナルエアウェイズへ13機、トランス・カナダ航空へ12機、英国海外航空へ9機、などの大口販売があった[1]。
1940年から41年にかけてアメリカ軍は戦争に備えた軍備増強を行い、アメリカ国内のL-18の多くもアメリカ陸軍航空隊によって徴用され、C-56の型番を与えられた。また、新造機にも搭載するエンジンによってC-57やC-60といった制式型番が付与されている。またアメリカ海軍や海兵隊ではR5Oの型番が付けられた。イギリス連邦へレンドリースされたL-18はイギリス空軍やニュージーランド空軍、カナダ空軍、オーストラリア空軍などでロードスターと呼ばれて使用された。
1942年には1機がブラジルのヴァルガス大統領のプライベート機として販売された。この機体には大統領機としての特別な儀装が施されていた。
第二次世界大戦が終わると、多くのロードスターがオーバーホールを受け、民間に戻された。1948年の第一次中東戦争では、1機のロードスターが黎明期のイスラエル空軍で輸送機として使用された。
1970年代から80年代にかけては、アメリカ国内のスカイダイビング事業者の多くがロードスターを用いていた。
アメリカ陸軍航空隊/アメリカ海兵隊/アメリカ沿岸警備隊での制式型番。
C-60Aの諸元[9]
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