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ロシア古正教会(露: Русская древлеправославная церковь)は、ロシア正教古儀式派の一つで、司祭派(容僧派)に分類される。しばしばノボズィプコフ派、逃亡司祭派(ベグロポポーフツィ)とも呼ばれる。
古正教会を創設したのは、ロシア正教古儀式派教会(ベロクリニツキー派)の聖職位階を認めなかった逃亡司祭派(ベグロポポーフツィ)の信徒たちである。
彼らの一部は1923年に正教会の教会刷新運動(Обновленчество)から自らの側に移行してきたサラトフ大主教ニコラを自らの指導者として認め、自らの聖職位階を持つこととなった。 1929年にはエディノヴェーリエ派(主流派教会に所属しながら古い儀式を守っていた一派)のスヴェルドロフスク主教ステファンも古正教会に合流した。
古正教会の中心ははじめサラトフにおかれたが、1924年にロゴーシスコエ墓地のそばのニコリスキー寺院に移された。1955年にはサマラ州のクイビシェフ、1963年にはブリャンスク州のノヴォズィプコフに移転した。
ノヴォズィプコフの救世主顕栄主教座大聖堂は1938年に閉鎖されたが、ナチス・ドイツ占領下の1943年に祈祷が再開され、現在まで閉ざされたことはない。
1999年12月23日にアポリナーリイ(ドゥビーニン)主教が古正教会から主教の地位を奪われ、2000年5月7-9日の古正教会教会会議でアポリナーリイ主教の支持者はロシア古正教会から追放された。結果としてアポリナーリイ主教を長とするロシア古正教会(クルスク主教座)(露: Древлеправославная церковь России [Курская епископия])が分離した。
ノヴォズィプコフには高等神学教育機関がある。70の会衆組織を持ち、さらにルーマニアには5つ、ブルガリアには1つの会衆組織を擁する。
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