極東地方(きょくとうちほう、ロシア語: Дальневосточный край)は、極東ロシアに1926年1月4日から1938年10月20日にかけて存在したロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の一行政区画である。首府はハバロフスクに置かれた。
前身は極東州(1922年11月15日から1926年1月4日)、さらにその前身は極東共和国である。
- 1922年11月15日 極東共和国がロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に合流し、極東州が形成された[1]。
- 1923年5月 極東州管轄下であったブリヤート・モンゴル自治州(ロシア語版)(現在のブリヤート共和国、ザバイカリエ地方の各一部)がモンゴル・ブリヤート自治州(ロシア語版)(現在のイルクーツク州、ブリヤート共和国の各一部)と合併し、ブリヤート・モンゴル自治ソビエト社会主義共和国が設立
- 1923年7月25日 全ロシア中央執行委員会(英語版)とロシア・ソビエト連邦社会主義共和国人民委員会議(英語版)の決議により、極東州管轄下の州(オーブラスチ、область)が県(グベールニヤ、губерния)に変更され、法的にも極東州が設立された。(当時、置かれた県はザバイカル県(ロシア語版)、アムール県(ロシア語版)、沿バイカル県(ロシア語版)、沿アムール県(ロシア語版)、沿海県(ロシア語版)、カムチャッカ県(ロシア語版)の6県)[1]
- 1923年10月1日 沿バイカル県がザバイカル県とブリヤート・モンゴル自治ソビエト社会主義共和国で分割。また、沿アムール県と沿海県が沿海県に統合。[1]
- 1925年5月 沿アムール県に属する北サハリンから日本軍が撤退する。
- 1926年1月4日 極東州が極東地方に改組。
- 1926年1月4日 極東州の極東地方に改組に伴い、県が解体されて9つの管区(オークルク、округ)に再編され、管区の下には合計75の地区(ラヨン、район)が置かれる[2][3]。
- 1930年7月30日 チタ管区とスレテンスク管区が新たに設立された東シベリア地方(ロシア語版)に移管される[4]。
- 1930年10月1日 カムチャッカ管区とサハリン管区以外の管区が廃止され、2管区、67地区となる[2]。
- 1930年12月10日 ソビエト連邦全ロシア中央執行委員会の決議により、コリャーク、オホーツク・エヴェンキ(ロシア語版)、チュクチの3民族管区が設置。
- 1931年5月20日 アラゼヤ川流域、コリマ川流域北部、インディギルカ川流域が極東ロシア連邦から切り離され、ヤクート自治ソビエト社会主義共和国に移管される。
- 1932年10月20日 全ロシア中央執行委員会とロシア・ソビエト連邦社会主義共和国人民委員会の政令により、より上位の行政区分として4州、4管区、3地区、1市(ゴロド、 Город)が設けられる。
- 1934年5月7日 ビロビジャン地区がユダヤ自治州に改組されることが決定
- 1934年7月22日 ウスリー州(ロシア語版)(首府:ウスリースク)、ニジネ・アムールスク州(ロシア語版)(首府:ニジニ・アムールスク)、ゼヤ州(ロシア語版)(首府:ルハロヴォ)、ハバロフスク州(首府:ハバロフスク)が設立される[2]。
- 1934年9月20日 共にニジネ・アムールスク州に属していたニジネ・アムールスク管区とオホーツク・エヴェンキ管区が廃止され、管区に属していた地区が州の直轄になる。
- 1934年12月18日 ユダヤ自治州が正式に設立される。
- 1937年9月26日 東シベリア州とゼヤ州の一部がチタ州に再編され、極東地方から外れる。
- 1938年10月20日 ソビエト連邦最高会議により、極東地方が沿海地方(ウスリー州と沿海州を含む)とハバロフスク地方(それ以外の州や地区を含む)に分割される[5]。
- 1939年5月31日 ソビエト連邦最高会議によって、沿海地方とハバロフスク地方の設立が正式に承認される[6]。
Большая советская энциклопедия 1-изд. Т.20 М.1930, — С.242