Remove ads
リベリアの女性平和運動家、ノーベル平和賞を受賞(2011年) ウィキペディアから
レイマ・ロバータ・ボウィ(Leymah Roberta Gbowee、1972年2月1日 - )は、リベリアの女性平和運動家。2011年のノーベル平和賞受賞者である[1][2]。名前の日本語表記はリーマ・ボウイーとも[3]。
リベリア共和国中央部に生まれ、17歳で首都のモンロビアに移住、この時、第一次リベリア内戦が勃発した。自身も幼児2人を連れて首都を離れ、3部屋の家にやはり避難してきた親戚50人と暮らした経験がある。ソーシャルワーカーの研修を受けて心的外傷を負った兵士のカウンセラーとして働き、チャールズ・テーラー率いる軍の元少年兵らを治療した[4]。
2002年、社会活動家として「リベリア人女性による平和大衆行動」(Women of Liberia Mass Action for Peace)を組織した。魚市場で祈り歌う女性たちの運動として始まった活動は連絡団体WIPNET(ピースウィメン)[注釈 1]がまとめ、平和を希求する非暴力の抵抗運動としてキリスト教、イスラム教の垣根を越えて広まって行った。ボウィの指導のもとにテーラー大統領との会見を設定し、大統領にガーナで開催される和平交渉への参加を確約させると、ボウィ率いるリベリアの女性たちは公式代表団としてガーナにおもむき、和平圧力を加えることに成功する。アクラのガーナ大統領官邸前で無言の抗議集会を行うなどした結果、膠着していた和平交渉も合意に達した。ボウィらの運動は翌2003年の第二次リベリア内戦終結に道すじをつけ、また共に活動したエレン・ジョンソン・サーリーフの大統領選当選を下支えし、アフリカ女性初の国選大統領、2番目の国家元首が誕生する。
ボウィらは平和を象徴する真っ白いTシャツを着て運動を行った。Tシャツには1人ずつ通し番号が付き、その数は3千超に達する。こうして暴力や政府に反対する女性も政治勢力であることを示した。
ニューヨークでボウィはジニー・レティッカー監督と映画関係者のアビゲイル・ディズニーから取材を受け、ごく一般の女性たちがリベリアの内戦収束に果たした役割を映像にしたいと熱望されると、作品『Pray the Devil back to Hell』(2008年公開)の撮影に至る[5]。
女性による平和構築の流れは、他のアフリカ諸国へも紛争解決を求める運動として広がりを見せている。ボウィは映像作品に出演後も活動地域を広げ、新たに団体「女性と平和安全アフリカ」(WIPSEN Africa=Women Peace and Security Network Africa)を立ち上げたものの活動資金に困っており、相談を受けたディズニー自身は2万5千ドルを提供し、周囲にも寄付を勧め始めた[6]。資金を使い、シエラレオネ、ニジェール・デルタ地域の紛争地へ、リベリアで編み出した平和構築の基礎づくりを伝える。ディズニーは平和活動家のグロリア・ステイネム Gloria Steinem らにも声をかけ、ガーナで行う WIPSEN Africa の会合に送るなど、「映画の人たちは仕事(映画撮影)が終われば関係も終わる」と予想したボウィのマスコミ関係者への不信感を徐々に解いていったという[7]。
2019年現在のボウィはガーナの首都アクラに本部を置く「Women Peace and Security Network Africa」(WIPSENアフリカ)の事務局長職に就き、西アフリカ一帯に平和運動を広げる活動を統括し、創設者のひとりとして関わった「ピースウィメン」(WIPSEN)あるいは1998年以来、西アフリカの平和構築のさきがけとなる団体「西アフリカ平和構築ネットワーク」(WANEP=West African Network for Peacebuilding)とも連帯している。
2013年10月よりコロンビア大学バーナード・カレッジのフェロー(Fellow in Residence at the Athena Center for Leadership Studies)、同学で講義を持つ。
女性による平和構築および安全保障プログラム(WIPSEN=英語: The Women in Peace and Security Programme)、通称「ピースウィメン」(PeaceWomen)は2000年創設、国際連合の活動を監視する団体で、女性の権利、平和構築と安全保障に関わるその活動を見つめ、権利擁護と普及活動に取り組んだ[8][9]。ボウィは活動地域の拡大を願って「WIPSENアフリカ」を2006年に創始し、ナイジェリアの市民活動家テルマ・エキヨー(en)とエコマ・バッシー・アラガ(Ecoma Bassey Alaga)に呼びかけてガーナ(アクラ)に本部を置いた[10][11][12]。
ボウィはモンロビアの高等教育施設 Mother Patern College of Health Sciencesでソーシャルワーク学を修了し、2001年に資格を取得(Associate of Arts degree)、2007年にアメリカのバージニア州ハリソンバーグ(en)のイースタン・メノナイト大学(Eastern Mennonite University)より「衝突からの転換」によって芸術修士号を授与される[13]。また国連訓練研究所、カメルーンの戦争被害者トラウマ治療センター、リビアの非暴力平和教育(Non-Violent Peace Education)の各機関で研修を受け、衝突防止と平和構築の修了証明書を受ける[14]。
内戦中の記録映像や録音をつづり合わせた2008年の映像記録作品『悪魔よ地獄へ帰れ』(Pray the Devil back to Hell)で主役とナレーションを担当した。同作はトライベッカ映画祭で最優秀記録作品賞を受賞。アメリカの公共テレビ局 PBS は2011年10月から11月初旬の火曜日ごとに5回に分けて〈Women, War & Peace〉シリーズを放映し、本作を放送した[15]。この作品は武力衝突が発生している、または収束した地域でアドボカシーのツールとして使われ、ボスニア、アフガニスタン、イラク、南アフリカ、ルワンダ、メキシコ、ケニア、カンボジア、ロシア、スーダン、コンゴ共和国、ヨルダン川西岸地域で上映されてきた。
反応は驚くほど似通っている。国や社会がどれほど異なっても、女性は映像の中に自分を見出し、それぞれが抱える問題の解決をめぐって、どうすれば解決できるか協議が始まる– MEDIAGLOBAL[16][17]。
映像作品でボウィは自らの身の上に起きたこととは対照的に明るく笑い、人生を楽しむ人物として描かれる。堅苦しくない雰囲気なのに、練達の政治家や宗教の垣根を動かしてみせる賑やかで鋭利な戦略家という印象を与える。「風船と紙吹雪、ピエロがお菓子のお土産を配る」式のお祭り騒ぎや娯楽としてではなく、寄り添う気持ちが湧き上がるような親しみを覚える。画面では女性たちは歌い踊り、微笑み、「純白無垢のドレス※」を身に着け — 座り込みやデモの列から笑い声さえ聞こえる。 – ハフィントンポスト[18] (※=ボウィたちが配ったプリント入りの白いTシャツ)
ディズニーはニューヨーク滞在中のボウィを篤志家の輪に紹介するため、フィランソロピー活動に助言をするヒルディ・シモンズ Hildy Simmons(元J・P・モルガン管理職)およびホワイトハウス・プロジェクト(en)の創案者メアリー・ウィルソン Marie C. Wilson に引き合わせると[6]、やがて数々の受賞への扉が開く。2006年前半にジョン・F・ケネディ記念章(ハーバード大学ケネディ政治講座(en)を受けたのを始め、ウィメンズeニュース、グルーバー女性の権利賞、ケネディ勇気の横顔賞(en)ほか一連の表彰を受ける。2011年7月に母校イースト・メノナイト大学から「卒業生表彰」に決まったと発表があった[19] [注釈 2]。2011年10月に母校で表彰式があり、ノーベル委員会は同年の平和賞に女性3人を選んだと発表し、ボウィの名が含まれていた。
受賞・受章年の降順
授与年の降順
発行年順、翻訳版の書誌は原書を参照。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.