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ルー・ウィテカー
アメリカの野球選手 (1957 - ) ウィキペディアから
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ルー・ウィテカー(英語: Lou Whitaker, 本名:ルイス・ロッドマン・ウィテカー・ジュニア(Louis Rodman Whitaker, Jr. , 1957年5月12日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク出身の元プロ野球選手(二塁手)。右投左打。
登録名のルーは愛称である。その他にも"スウィート・ルー"("Sweet Lou")の愛称がある。現役時代をMLB・デトロイト・タイガースで全うしたフランチャイズ・プレイヤー。
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経歴
要約
視点
1975年のMLBドラフト5巡目(全体99位)でデトロイト・タイガースから指名され、入団。当初、マイナーでは遊撃手であったが、AA級で後に長らくキーストン・コンビを組むアラン・トランメルが定着したため二塁手に転向。
1977年9月9日のフェンウェイ・パークでのボストン・レッドソックスとのダブルヘッダー第2試合で、トランメル共々メジャーデビューを果たす。
1978年には139試合に出場し、打率.285の好成績と堅実な守備でア・リーグ新人王に選出された。

1983年は自身初のオールスターゲームに選出された。最終的に打率.320の成績を残した。 オフには自身初のゴールドグラブ賞を受賞し た。MVP投票では第8位だった。
1984年にはチームは開幕から40試合で35勝5敗(MLB記録)の快進撃で地区優勝を果たし、カンザスシティ・ロイヤルズとのリーグチャンピオンシップシリーズ、サンディエゴ・パドレスとのワールドシリーズを制し、ワールドシリーズ優勝を果たした。オフには2年連続2度目となるゴールドグラブ賞を受賞した。
1985年はファン投票でオールスターゲームに選出されたが、ユニフォームを忘れ、グッズショップでタイガースの帽子と、(背番号がついていない)ジャージを買い求め、マジックペンで「1」と背番号を書いて出場した。最終的に21本塁打を記録した。オフには3年連続3度目となるゴールドグラブ賞を受賞した。
1986年は2年連続でファン投票でオールスターゲームに選出された。オールスターには先発出場し、ナショナルリーグの先発投手を務めたニューヨーク・メッツのドワイト・グッデンから先制にして決勝本塁打を記録する。最終的に20本塁打を記録し、一塁手のダリル・エバンス、三塁手のダネル・コールズ、遊撃手のトラメルと共に、「内野手全員20本塁打」を記録した。
1987年にもチームの地区優勝に貢献。
1989年には自己最多、そしてチームの二塁手のシーズン本塁打記録となる28本塁打を記録した。
1992年には通算200号本塁打と2000本安打を達成。ウィテカーとトランメルは通算1918試合に共に出場している。これは、ポジションを問わず、特定の二選手が同一チームで同じ試合に出場した数としては、ア・リーグ記録である。また、この両者が完成させた併殺は、二塁・遊撃のコンビとしてはMLB史上最多である。選球眼は良く、通算三振(1099)よりも四球(1197)の方が多い。
1995年限りで現役を引退。

デトロイト・タイガースの永久欠番に2022年指定。
引退後はフロリダ州で養鶏場を経営し、同州レイクランドで開催されるタイガースのスプリング・トレーニングではアドバイザースタッフとして臨時コーチを務める。 現役時代の背番号『1』は、ウィテカーの引退後、タイガースでは使用を控える準欠番となっていたが、2013年途中よりホセ・イグレシアスが着用、その後2019年12月、正式に永久欠番に指定されることが発表された[1]が、直後に新型コロナウイルス感染症の流行が発生したことにより欠番表彰式は延期、2年経った2022年8月6日に欠番表彰式が行われた[2]。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞
表彰
- 新人王(1978年)
- シルバースラッガー賞(二塁手部門):4回(1983年 - 1985年、1987年)
- ゴールドグラブ賞(二塁手部門):3回(1983年 - 1985年)
- プレイヤー・オブ・ザ・マンス:1回(1983年6月)
- プレイヤー・オブ・ザ・ウィーク:1回(1983年6月12日)
記録
背番号
- 1(1977年 - 1995年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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