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ルディ・サーゾ(Rudy Sarzo、1950年11月18日 - )は、キューバ生まれ、アメリカ合衆国育ちのベーシスト、アニメーター。実弟は、ハリケーンのギタリスト、ロバート・サーゾ。
1950年にキューバ・ハバナで生まれ、1961年にアメリカ合衆国へ移住する。最初はアコースティック・ギターを弾き始め、1967年頃からベースに転向。
1978年にクワイエット・ライオットに参加してアルバムを制作(演奏はしていない)するも、日本でのみ発売というローカルなものであった。1981年3月、親友ランディ・ローズの推薦によりオジー・オズボーンのバンドに加入し、名を広める。アルバム『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』に伴うツアーの模様は後に『トリビュート〜ランディ・ローズに捧ぐ』として、さらにブラック・サバスの楽曲ばかりを演奏した『悪魔の囁き』として残っている。
1982年9月にバンドを脱退してクワイエット・ライオットに戻る。この時に発表したアルバム『メタル・ヘルス〜ランディ・ローズに捧ぐ〜』は600万枚を売り、ビルボード・ポップ・チャートで初登場1位を獲得した初めてのヘヴィメタル・バンドとなった。続く『コンディション・クリティカル』でも300万枚の大ヒットとなった。
1987年4月にトミー・アルドリッジと共にホワイトスネイクの一員となって『白蛇の紋章〜サーペンス・アルバス』のビデオとアルバムをサポートするツアーに参加、華やかなステージ・パフォーマンスは当時のロック・シーンに合致し、大きな人気を得ることになった。続く『スリップ・オブ・ザ・タング』の制作に参加し、これもマルチ・プラチナに輝く大ヒットとなる。しかしツアー後にバンドは崩壊し、グレイテスト・ヒッツ発売に伴うツアーが終了した1994年9月にホワイトスネイクは完全に解散する(のちの再結成には関与せず)。この頃、ホワイトスネイクの元メンバーやロン・ヤングと共にマニック・エデンを結成し、アルバムを1枚発表。
1997年5月にクワイエット・ライオットの再結成に参加してアルバム『アライブ・アンド・ウェル』『Guilty Pleasures』の制作、さらに2003年8月までツアーを行う。
2004年2月にはイングヴェイ・マルムスティーンのバンド、ライジング・フォースに参加し、アルバム『アタック!!』に伴うアメリカ・ツアーに参加する。終了後の4月にはディオに参加してツアーで世界を回る。その後はブルー・オイスター・カルトにも参加した。2011年にはクリス・インペリテリ(インペリテリ)、スコット・トラヴィス(ジューダス・プリースト、レーサーX)、マイク・ヴェセーラ(元ラウドネス)等と共にアニメタルUSAに参加しアルバムをリリース、ファンを驚かせた。同年「LOUDPARK'11」に出演している。
2021年8月、約18年ぶりにクワイエット・ライオットへ復帰[1]。同年11月に米バージニア州ウッドフォードにて、復帰後初ライブが行われた[2]。
現在もバンドに在籍するかたわら、3Dアニメーターとしても活動している。
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