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アメリカのバスケットボール選手 (1952-2010) ウィキペディアから
モーリス・ルーカス (英語: Maurice Lucas, 1952年2月18日 - 2010年10月31日) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長206cm、体重97kg。ポジションはパワーフォワード。ABA及びNBAで8チームを渡り歩き、計14シーズンプレーした。1977年ポートランド・トレイルブレイザーズ優勝メンバー。
故人 | |
---|---|
ポジション | PF |
基本情報 | |
愛称 | The Enforcer |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1952年2月18日 |
没年月日 | 2010年10月31日(58歳没) |
出身地 | ペンシルベニア州ピッツバーグ |
身長(現役時) | 206cm (6 ft 9 in) |
体重(現役時) | 97kg (214 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | マーケット大学 |
ドラフト | 1974年 14位 |
永久欠番 | トレイルブレイザーズ 20 |
選手経歴 | |
1974-1975 1975-1976 1976-1980 1980-1981 1981-1982 1982-1985 1985-1986 1986-1987 1987-1988 |
スピリッツ・オブ・セントルイス ケンタッキー・カーネルズ ポートランド・トレイルブレイザーズ ニュージャージー・ネッツ ニューヨーク・ニックス フェニックス・サンズ ロサンゼルス・レイカーズ シアトル・スーパーソニックス ポートランド・トレイルブレイザーズ |
受賞歴 | |
| |
Stats Basketball-Reference.com | |
ペンシルベニア州ピッツバーグで生れたルーカスはマーケット大学に進学し、名将アル・マグワイアのもとでプレーした。1974年にはチームをNCAAトーナメント決勝初進出に導き、ノースカロライナ州立大学に敗れたものの自身は21得点13リバウンドと活躍した。大学では2年間のプレーで平均15.7得点10.7リバウンドを記録している。
1974年、ルーカスはNBAドラフトでシカゴ・ブルズから全体14位指名を受けたがNBA入りせず、ABAのスピリッツ・オブ・セントルイスに入団した。1年目から平均ダブルダブルをあげるなど存在感を見せたルーカスは、翌1975-76シーズン途中にケンタッキー・カーネルズに移籍し、オールスターにも初選出された。カーネルズはプレーオフ準決勝でデンバー・ナゲッツに敗れてシーズンを終えた。
シーズン終了後、ABAとNBAの合併に伴ってカーネルズが解散したため、ルーカスはエクスパンション・ドラフトでポートランド・トレイルブレイザーズに移籍してNBAキャリアをスタートさせた。
当時のブレイザーズは創設以来1度もプレーオフに進出したことがない弱小球団だったが、ルーカスの加入によってチームは劇的な向上を見せた。NBA1年目となる1976-77シーズン、ルーカスはチームトップとなる平均20.2得点を記録してオールスターに選ばれた。ルーカスとビル・ウォルトンに率いられたブレイザーズは49勝を記録して球団史上初のプレーオフ進出を決め、その勢いでファイナルまで勝ち上がってフィラデルフィア・76ersと対決した。ファイナル第2戦、ルーカスは76ersのダリル・ドーキンスと乱闘事件を起こして退場処分を受けたが、これにより逆に奮起したブレイザーズは第3戦以降主導権を握り、最終的に4勝2敗で初優勝を成し遂げた。ファイナルMVPはウォルトンが受賞したが、ルーカスはチーム首位のシリーズ平均19.7得点に加えてエネルギッシュなプレーでチームメイトを鼓舞し、優勝に多大な貢献を果たした。
翌1977-78シーズン、ルーカスは2年連続でオールスターに選ばれ、さらに自身初のオールNBA2ndチームとオールディフェンシブ1stチームに名を連ねるなど絶好調のシーズンを過ごした。ブレイザーズはリーグ首位の58勝をあげたが、ウォルトンの故障もあってプレーオフではカンファレンス準決勝で敗退している。1978-79シーズンはウォルトンが全休したためルーカスはエースを任され、キャリアハイとなる平均20.4得点の成績で3年連続のオールスター選出を果たしたが、プレーオフでは1回戦敗退に終った。そして1979-80シーズン途中、ルーカスはカルヴィン・ナットとの交換でニュージャージー・ネッツにトレードされた。
ルーカスはネッツで1シーズン半を過ごした後ニューヨーク・ニックスに移籍し、その1年後にフェニックス・サンズと契約した。サンズ1年目の1982-83シーズン、ルーカスは平均16.5得点をあげ、4年ぶり4度目のオールスター選出を果たした。翌1983-84シーズンにはラリー・ナンスやウォルター・デイヴィスとともにチームをプレーオフのカンファレンス決勝に導いている。その後もう1シーズンをサンズで過ごし、1985年にロサンゼルス・レイカーズに移籍した。
当時レイカーズはマジック・ジョンソンを中心に圧倒的な強さを誇っており、ルーカスはシックスマンとしてチームに貢献した。1985-86シーズン、レイカーズはプレーオフのカンファレンス決勝でヒューストン・ロケッツに敗れ、連続ファイナル進出が4年でストップした。ルーカスはシーズン終了後シアトル・スーパーソニックスに移籍してそこで1シーズンをプレーした後、古巣ポートランド・トレイルブレイザーズに復帰した。
ブレイザーズで迎えた1987-88シーズン、クライド・ドレクスラーやテリー・ポーターらに率いられたチームは53勝を記録した。これはかつてルーカスがブレイザーズの主力だった1977-78シーズン以来の数字だった。チームはプレーオフ1回戦で敗退し、ルーカスはこのシーズン限りで現役を引退した。引退から間もなくして、ルーカスの背番号『20』がブレイザーズの永久欠番となることが発表された。
ABAとNBAを合算した成績は、1,021試合に出場して通算14,857得点9,306リバウンド(平均14.6得点9.1リバウンド)であった。
ルーカスは引退後の短期間、ブレイザーズのアシスタントコーチを務めた。その後2005年に再び同職に就いて指導を行ったが、健康不安のため2010年に退任した。
1997年にはABAオールタイムチームに選出された。
2010年、ルーカスはオレゴン州ポートランドの自宅にて58歳で死去した。これを受け、ブレイザーズは2010-11シーズンのジャージに20本のパッチをつけて彼の業績を称えた。
† | NBAチャンピオン |
太字 | キャリアハイ |
Season | Team | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1974-75 | SSL | 80 | – | 30.8 | .467 | .222 | .786 | 10.2 | 3.6 | 1.1 | .8 | 13.2 |
1975-76 | 28 | – | 38.0 | .460 | .000 | .731 | 15.1 | 2.8 | .7 | .8 | 20.4 | |
KEN | 58 | – | 31.0 | .461 | .429 | .784 | 9.4 | 2.5 | 1.0 | .6 | 15.3 | |
1976–77† | POR | 79 | – | 36.2 | .466 | – | .765 | 11.4 | 2.9 | 1.1 | .7 | 20.2 |
1977–78 | 68 | – | 31.2 | .458 | – | .767 | 9.1 | 2.5 | .9 | .8 | 16.4 | |
1978–79 | 69 | – | 35.7 | .470 | – | .783 | 10.4 | 3.1 | 1.0 | 1.2 | 20.4 | |
1979–80 | 41 | – | 28.7 | .440 | .400 | .730 | 7.9 | 3.0 | .6 | .9 | 14.3 | |
NJN | 22 | – | 32.2 | .490 | .000 | .775 | 9.6 | 3.8 | .9 | 1.2 | 15.2 | |
1980–81 | 68 | – | 31.8 | .484 | .000 | .752 | 8.5 | 2.5 | .8 | .9 | 14.7 | |
1981–82 | NYK | 80 | 74 | 33.4 | .504 | .000 | .725 | 11.3 | 2.2 | .9 | .9 | 15.8 |
1982–83 | PHO | 77 | 71 | 33.6 | .474 | .333 | .781 | 10.4 | 2.8 | .7 | .6 | 16.5 |
1983–84 | 75 | 69 | 30.8 | .497 | .000 | .765 | 9.7 | 2.7 | .7 | .5 | 15.9 | |
1984–85 | 63 | 22 | 26.5 | .476 | .000 | .750 | 8.8 | 2.3 | .6 | .3 | 13.4 | |
1985–86 | LAL | 77 | 8 | 22.7 | .462 | .500 | .783 | 7.4 | 1.1 | .6 | .3 | 10.2 |
1986–87 | SEA | 63 | 0 | 17.8 | .451 | .000 | .802 | 4.9 | 1.0 | .5 | .3 | 7.9 |
1987–88 | POR | 73 | 0 | 16.3 | .450 | .000 | .736 | 4.3 | 1.3 | .5 | .1 | 6.1 |
Career | 1,021 | 244 | 29.5 | .471 | .143 | .765 | 9.1 | 2.4 | .8 | .6 | 14.6 | |
All-Star | 5 | 2 | 20.8 | .400 | – | .750 | 7.2 | 2.2 | .5 | .3 | 7.8 |
Year | Team | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1975 | SSL | 10 | – | 37.5 | .444 | .000 | .659 | 14.7 | 5.0 | 1.2 | 1.4 | 16.3 |
1976 | KEN | 10 | – | 33.0 | .493 | – | .789 | 10.8 | 2.2 | .8 | .6 | 16.5 |
1977† | POR | 19 | – | 38.5 | .519 | – | .743 | 9.9 | 4.2 | 1.5 | 1.2 | 21.2 |
1978 | 6 | – | 38.8 | .426 | – | .579 | 12.5 | 2.5 | .7 | .3 | 17.2 | |
1979 | 3 | – | 34.7 | .341 | – | .714 | 10.7 | 6.0 | 1.0 | .3 | 11.0 | |
1983 | PHO | 2 | – | 28.5 | .571 | – | .500 | 6.0 | 4.0 | 1.5 | .0 | 13.0 |
1984 | 17 | – | 33.5 | .511 | – | .808 | 9.9 | 3.6 | .7 | .5 | 17.4 | |
1985 | 3 | 0 | 28.0 | .468 | – | .789 | 11.0 | 3.3 | .7 | .7 | 19.7 | |
1986 | LAL | 14 | 0 | 22.8 | .527 | – | .737 | 6.5 | .7 | .4 | .4 | 9.4 |
1987 | SEA | 14 | 0 | 18.9 | .389 | .000 | .737 | 4.6 | 1.4 | .9 | .4 | 7.0 |
1988 | POR | 4 | 0 | 15.8 | .308 | – | .500 | 6.3 | 1.3 | .3 | .0 | 2.5 |
Career | 102 | 0 | 30.7 | .480 | .000 | .736 | 9.3 | 2.9 | .9 | .6 | 14.6 |
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