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メレオロジー

部分と全体の関係 ウィキペディアから

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メレオロジー英語: mereology)とは、数理論理学言語学哲学専門用語で、部分全体の関係(part-whole relation)を扱う理論・視座のこと。もともとはスタニスワフ・レシニェフスキが数理論理学の文脈で用いた造語だが[1]、のちにそこから派生して様々な文脈で用いられるようになった。語源古典ギリシア語で「部分」を意味する「メロス」(μέρος)から。形容詞形は「メレオロジー的」「メレオロジカルな」(mereological)。

数理論理学

20世紀初頭ポーランドレシニェフスキが、数学基礎論数学の哲学の文脈で「メレオロジー」を提唱した。この場合のメレオロジーは集合論と対比される。20世紀中期米国グッドマンクワインもメレオロジーを論じた。

言語学

言語学における意味論語彙意味論)の文脈で、単語間の階層関係についての説明として、メレオロジーを念頭に「メロニミー」(meronymy)または「メロノミー」(meronomy)という用語で総称される単語群がある[2][3]。例えば「」にとっての「車輪」がこれにあたる。メロニミーは、「ハイポニミー」(hyponymy)すなわち「車」にとっての「バス」と対比される。また、「ホロニミー」(holonymy)すなわち「車輪」にとっての「車」とも対比される。メロニミーと関連する用語として、換喩(メトニミー)や提喩(シネクドキ)といった修辞技法の用語がある。

また、言語学における形式意味論および哲学における言語哲学の文脈で[4]英語における不可算名詞mass noun、質量名詞、物質名詞)や複数(plural)についての説明の仕方の一つとしてメレオロジーが用いられることもある[1][5][6]。それと関連して、「質量名詞仮説」(mass noun hypothesis)という仮説がある[7][8]。すなわち、日本語朝鮮語中国語といった、文法上の数をもたない代わりに助数詞をもつ言語について、これらの言語はすべての名詞が不可算名詞であり、後述の一元論のように世界を捉えている、とする仮説である[8]。この仮説は、1968年のクワインによって、「ガヴァガイ」で知られる翻訳の不確定性英語版と関連して提唱された[9]。しかしその後、1990年代の飯田隆によって否定され[10]、クワイン自身もその否定を受け容れている[9]

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哲学

要約
視点

主に現代分析形而上学において様々な文脈で論じられる。わかりやすい応用例・喩え話として、「砂山のパラドックス」「テセウスの船」「粘土と像」(statue and lump of clay)[11]、「ティブルスのパラドックス」(Tibbles, 猫のティブルス)[12]、『ミリンダ王の問い』の冒頭[13]などがある。主な論点・トピックとして以下がある。

  • 部分とは何か、全体とは何か、部分と全体の関係、部分同士の関係とは何か
  • 全部分(部分の総和・総体)と全体との関係とは何か。「全体は部分の総和にすぎない[14]」のか、それとも「全体は部分の総和以上のものである」(ホーリズム)のか。
  • 「全体は部分の総和にすぎない」ならば、あらゆるものは人間が作り出したまぼろし、名前だけの存在であり、この世には何ものも実在しない(メレオロジー的虚無主義mereological nihilism[15]。何ものかが実在するとしても、それは極めて単純なもの(simple)、すなわち無数の最小不可分な原子だけである(原子論)。もしくは無数の原子というより一個のひたすら巨大な「どろどろねばねばの塊[16]」としての世界だけである(一元論ブロブ、blob、blobject)。もしくは原子ですら無い無限に分割可能な「ずぶずぶの底なし沼[16]」としての世界だけである(多元論、ガンク、gunk、atomless gunk)
  • ものの同一性(通時的同一性)が、部分の増減・変化を受けても「持続する」(persistence)ということについての諸説。例えば、ものにとっての時間もまた部分の一種(時間的部分、temporal parts)であるとみなし、それにより、ものの同一性を三次元ではなく四次元の観点から説明する説(四次元主義four-dimensionalism)。四次元主義は、延続主義(延続説、perdurantism)と重なる。四次元主義・延続主義は、耐続主義(耐続説、endurantism)・三次元主義(three-dimensionalism)・メレオロジー的本質主義、mereological essentialism)と対比される。
  • 部分が全体を「構成する」(複合的なものを作る、composition)ということについての諸説。例えば、どんなものでも部分になって任意の全体(メレオロジー的和、mereological sum)を無制限に作ることができる(メレオロジー的普遍主義、universalism)のか、無制限に作ることはできない(メレオロジー的制限主義、restrictivism)のか。
  • クラス類種関係、現代普遍論争problem of universals)、抽象的対象全般といった、他のトピックへのメレオロジーの応用

また、哲学史研究の視座の一つとしてメレオロジーが応用されることもある[17]。例えば、古代ギリシア哲学において「メロス」(部分)は「ホロン」(全体、男性形: ホロス、ὅλος)や「パン」(総て、πᾶν)や「ストイケイオン」(構成要素・元素στοιχεῖον)などと一緒に言及されており、プラトンアリストテレスにおいても言及されている[18]。アリストテレスは類種関係をメレオロジーと結びつけている[19]。その他、ソクラテス以前の哲学者古代原子論者や、トマス・アクィナスなどの西洋中世哲学[20][21]フッサール現象学(いわゆる大陸哲学)、ライプニッツホワイトヘッドの思想のうちにメレオロジーが見出されることもある。さらに、『ミリンダ王の問い』冒頭の「ナーガセーナ」と「車」の喩えなどの仏教思想や[13]ニヤーヤ学派ヴァイシェーシカ学派の思想[22]諸子百家の『荘子』「丘里之言」章や名家の思想[23][24][25]といった、東洋哲学のうちにメレオロジーが見出されることもある。

脚注

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関連文献

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関連項目

外部リンク

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