1983年2月にはニューヨークで初コンサートを行った。3月には、メキシコのスタジアムアステカでもコンサートを行い、6月には、再度ニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデンでコンサートを行った。9月には、映画『キャノンボール2』の主題歌をスペイン語・英語で歌い、メヌードの名を世界に知らしめた。テレビCMにも引っ張りだことなったメヌードは、P&G社クレスト歯磨き粉、マクドナルドCMに出演、ペプシコーラ社のイメージキャラクターとして何本ものCMに出演するなど、実際に世界進出を達成した。そして11月、世界のメジャーであるRCAレコードから、「A Todo Rock」をリリースした。歌手活動だけではなく、CM、映画など、世界のメヌードとして、知られるようになった。さらに名誉ある出来事として1984年に、世界で最年少の国連ユニセフ親善大使に任命された。
1985年3月メヌードは、初来日を果たした。第14回東京音楽祭に出演し、銀賞(3位)に入賞した。また、初来日にして、日本武道館で初コンサートという、偉業を成し遂げた。来日中は、テレビのバラエティ番組『クイズ・ドレミファドン!』に出演。また、ロッテチョコレートカントリーのイメージキャラクターとして、日本限定のCM曲として使用された「Sing&Dance」に合わせて、CMを極秘撮影した。メヌードの宿泊先であった東京プリンスホテルまで、ファンが詰めかけた。初来日で、多くの日本のファンを得たメヌードは、帰国後に、ロッテチョコレートカントリーのCMがオンエアされ、さらに日本のファンを増やし続けた。初来日のメンバーは、Roy Rosello, Roby Rosa, Charlie Masso, Ray Reyes, そして、オリジナルメンバーだったあのメレンデス兄弟の一人、リッキー・メレンデスが来日前に脱退し、12歳のリッキー・マーティン(Ricky Martin)が新メンバーとして加入、来日を果たした。
1985年10月、メヌードは、再来日を果たした。TBSラジオ、NHK『スペイン語講座』に出演した。また、世界中で行われたExplosion Concert Tourを、日本でも2ndコンサートとして五反田簡易保険ホールゆうぽうとで行った。メヌード2枚目の英語アルバムである「EXPLOSION-エクスプロージョン」が世界中で発売されており、これに合わせてのコンサートツアーであった。プライベートでは、新宿を訪れショッピングを楽しんだ。宿泊先であったホテルフェアモントにも、ファンが会いに来ていた。この模様は、メヌードの専属カメラマンによって撮影され、日本では、「Sing&Dance」のPV、「東京プロモーション」と題して、フィルムが世界中でオンエアされた。今回のこの来日メンバーは、初来日の時と同じく Roy Rosello, Roby Rosa, Charlie Masso, Ricky Martin, そして新メンバーレイモンド(Raymond Acevedo)であった。メヌードひさびさのスペイン語アルバム「Ayer y hoy」が発売された。
1986年6月 メヌード再来日。来日する度に、メンバーが一人ずつ入れ替わっている。2回の来日経験のあるロイ・ロセーロ(Roy Rosello)が半ば突然メヌードを脱退してしまったのだ。代わりに加入した新メンバー、セルジオ・ゴンザレス(Sergio Gonzalez)が、リッキー、ロビー、チャーリー、レイモンドとともに来日を果たした。この来日時は、ロッテカントリーの新CMの撮影、MENUDO『ロッテ 歌のアルバム』に出演したが、コンサートは行われず、メヌードのパフォーマンスの披露は、『ロッテ 歌のアルバム』(取手市民会館にて収録)のみであった。帰国後は、英語アルバム「can't get enough」、スペイン語アルバム「Refrescante」が発売された。世界各国では、相変わらずの人気ぶりで、フィリピンではゴールドディスクを獲得した。ヨーロッパへも進出し、イタリアのサンレモ音楽祭への出場も手に入れたのだ。日本からは、メヌードのグアム・ハワイへのコンサートツアーへ行く熱狂的なファンもおり、世界中のファンの歓声の中、メヌードは、プエルトリコや周辺各国で原点に還って活動していた。その後、MDOと改名。