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ドイツのバンド ウィキペディアから
メコン・デルタ(Mekong Delta)は、ドイツ出身のスラッシュ/プログレッシブ・メタル・バンド。
メコン・デルタ | |
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] リトアニア・ヴァルニアイ公演(2011年6月) | |
基本情報 | |
出身地 |
ドイツ ベルリン(西ベルリン) |
ジャンル |
スラッシュメタル プログレッシブ・メタル ジャーマンメタル エクスペリメンタル・ロック |
活動期間 |
1985年 - 1997年 2006年 - 現在 |
レーベル |
AAARRG Records Intercord Record Bullet Proof Records AFMレコード SPV/Steamhammer |
公式サイト | mekongdelta.eu |
メンバー |
ラルフ・ヒューベルト (B) マルティン・レマー (Vo) エリク・アダム・H・グロッシュ (G) ピーター・レイク (G) アレックス・ランデンバーグ (Dr) |
旧メンバー | 別記参照 |
1985年、音楽エンジニアであるラルフ・ヒューベルトを主宰に結成。スラッシュメタルとクラシック音楽をクロスオーバーさせた、独特のテクニカルサウンドを展開している。
元々は、ジャーマンメタル・バンド「レイジ」の前身「アヴェンジャー」(Avenger)の音楽エンジニアであったラルフ・ヒューベルトが、同メンバーのヨルグ・マイケルと意気投合して始まった音楽プロジェクトが原点である。
2人で制作に着手し、途中からレイジの同僚ピーヴィー・ワグナー(ベース/ボーカル)も一時期協力して、「ジェイク・ジェンキンス」の名で歌詞を提供する[1]。そしてラルフ自身も「ビョルン・エクルンド」という変名を使用して、プレイヤーとしても名を連ねた。
デビュー・アルバムのラインナップには、ジャーマン・スラッシュ・バンド「リヴィング・デス」のギタリスト達が参加した。ラルフ以外のメンバーも変名でクレジットされ、まるで覆面バンドのような様相だった。これは、ラルフとヨルグ・マイケルは所属するレコード会社が異なるため、外部からの干渉を回避するための措置であった。また当初は作品のみのプロジェクトであったため、ライブ活動を始めた1990年代初頭頃に実態を明かすまでは、ラルフとエクルンドも別人と認識されていた。
1985年、当時全盛だったメタリカのヒットに触発されたラルフとヨルグ・マイケルは、自分達なら更に進化したものを作れるという自負から、最初のファーストアルバム『Mecong Delta』を制作。サウンドはスラッシュメタル的なアプローチが目立っていた。2ndアルバム『ザ・ミュージック・オブ・エーリッヒ・ツァーン』や『ザ・プリンシプル・オブ・ダウト』からクラシック音楽により接近するようになり、スラッシュメタルとクロスオーバーさせた前衛的でテクニカルなスタイルを確立させる。20分間に及ぶ組曲『ダンゼズ・オブ・デス』は初期スタイルの集大成といえる。
ライブ・アルバム『ライヴ・アット・エキジビション』発表の頃からメンバーも固定されて順調に制作を続け、1992年の『カレイドスコープ (万華鏡)』ではサウンドプロダクションのレベルもより洗練された。この時期評論家で”キャプテン”の愛称でも知られる和田誠のトークイベントにおいてプロモーションを兼ねた来日もしている。
そして1996年、近世作曲家ムソルグスキーの代表作である『展覧会の絵』を再現したカバー作品を集大成として、翌年にバンド活動を休止した。
2006年、ラルフは新たなラインナップで10年ぶりにバンド活動を再開し、2007年に復活アルバム『ラーキング・フィア』を発表。以前と遜色のないスタイルをみせた。翌年にはライブ・ツアーが可能なメンバーに交代させ、2014年までコンスタントに作品をリリースする[2]。
また暫く途絶えていたが、2018年に旧メンバーが復帰した頃から活動を再開。2020年、6年ぶり12枚目となるスタジオ・アルバム『Tales of a Future Past』をリリースした。
デビュー当初は、テクニカルなスラッシュメタルの範疇に過ぎなかったが、ラルフ・ヒューベルトは、1970年代のプログレッシブ・ロック・バンド「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」のカバー作品『展覧会の絵 (ELPのアルバム)』を意識しており、自身もファースト・アルバムで原曲『展覧会の絵』からの1曲をカバーしている。
セカンド・アルバム以降から、クラシック音楽とのクロスオーバー化が進み、特に作家H.P. ラヴクラフトや上記ムソルグスキー作品などのカバーをベースとした、前衛的なテクニカルサウンドに変化していった。また、ネオクラシカルメタルやシンフォニックメタル勢などにみられる鍵盤楽器は使用せず、組曲をすべてギター、ベース、ドラムで実践している。
1990年代初頭に音楽評論家の間では、このようなテクニカルサウンドはスタジオ編集だからこそ可能であって、ライブで再現するのは困難だろうと疑問視されていた。しかし、1991年のライブ・アルバム『ライヴ・アット・エキジビション』で高度な演奏力を実証してみせ、批評を払拭している[3]。
※2022年時点
※1980年代末頃までは、ヒューベルト以外のメンバーも変名を名乗っていた時期がある。
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