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ムツィオ・クレメンティ(Muzio Filippo Vincenzo Francesco Saverio Clementi, 1752年1月23日 - 1832年3月10日)は、イタリアのローマに生まれ、イギリスのイヴシャムで没した作曲家・ピアニスト・教師・編集者・出版業者・楽器製造業者。
弟子にはフィールド(クレメンティからひどい指導を受けたという説があるが一定しない。クレメンティの楽譜を売り歩くセールスマンあるいはデモンストレーターの仕事をさせられたとの説もある)、カルクブレンナー、クラーマー、モシェレスがいる。
クレメンティは約100曲のピアノソナタを残しており、とくに1780年代にウィーンとロンドンで書かれたソナタは古典派音楽の交響的ソナタとしてベートーヴェンの先例をなす[2]。実際、ベートーヴェンは、ピアノ曲に関してはモーツァルトの作品よりもクレメンティの方がピアニスティックで素晴らしいと評価している。 しかし、よく知られた作品は、初級の練習用教材であるソナチネ作品36の第1番から第6番までの全6曲であり、ソナチネアルバム第1巻にも収録されている。
ほかに練習曲集《グラドゥス・アド・パルナッスム》、4つの交響曲、小編成オーケストラ曲(作品18の第1番及び第2番)、ピアノ三重奏曲などを残している。
また、ピアノフォルテまたはハープシコードのためのヴァイオリンまたはフルートの伴奏付きの6つのソナタ作品4も残している。これは後に、伴奏パートが省略されてピアノパートを若干編集を加えてソナチネとして出版され、前半の第1番~3番が作品37、後半の第4番~6番が作品38としてそれぞれ3曲に分割された。作品37の第2番(原曲作品4の第1番)と作品38全曲(原曲作品4の第4番~6番)がソナチネアルバム第2巻に収録されている。
ピエトロ・スパダよるピアノソナタ全曲録音は1990年代にようやく行われ、10人のピアニストに分担させた《グラドゥス・アド・パルナッスム》全曲録音が入手できるようになったのは21世紀に入ってからだった。近年は再評価される機会が増え、作品全集の新版が刊行中である。
全曲録音をしたピエトロ・スパダは、作品33のピアノソナタをピアノ協奏曲であったと解釈し、ピアノ独奏曲から協奏曲への復元を試みている。特に第1楽章は、作品2の第1番を思わせるような連続オクターブのAllegro・Presto演奏(かなりヴィルトゥオーゾ的である)があったり、めまぐるしく動く半音階のメロディー、カデンツァがあったりと、まさに協奏曲そのものと言ってよい。復元では、カットされたと思われる、コンチェルタント形式におけるオーケストラの呼応部分を補ったようである。
クレメンティの音源は現在主にピエトロ・スパダであるが、ハワード・シェリー、カルロ・グランテの解釈によっても知られている。元々ウラディミール・ホロヴィッツが好んでレコードに録音していたのも事実である。
交響曲作家としては、大成しなかった。
クレメンティの作品で一番知られていると言っても過言でないのが、「6つのソナチネ」作品36である。元々は、裕福な貴族の娘のために書かれた作品で、当初から教育的作品であった。第1曲から番号が増えるにしたがって、技術的に難しくなっている。このソナチネは何回も改定されたため、現代の出版社に、指使い(現在は1の指が親指であるが、当時は「十字」で表し、人差し指が「1」の指であった)、フレーズ、臨時記号等に混乱が生じている。特に、有名な第1番の第1楽章は、音楽之友社版と全音楽譜出版社版とではフレーズが違う。これに関しては、「ソナチネアルバム-初版に基づく改訂版-」が全音楽譜出版社から新たに出版された。多くのピアノ学習者が学ぶ曲で、簡潔なソナタ形式、フレーズ、スケール等のピアノの基礎技術・知識が詰まった作品であるが、この作品の研究はあまりなされていない。なお、フランスの作曲家であるエリック・サティは、1917年に第1番を元に『官僚的なソナチネ』を作曲している。
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