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マリーン・オッティ

ジャマイカの出身でスロベニアの陸上競技選手 (1960-) ウィキペディアから

マリーン・オッティ
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マリーン・オッティMerlene Ottey, 1960年5月10日 - )は、ジャマイカの出身でスロベニアに移住した陸上競技選手オリンピックに7大会連続出場。オリンピック、世界陸上競技選手権大会において、決勝まで進み、優勝候補にあげられながら、優勝できず3位入賞が多かったことから、ブロンズコレクター・ブロンズの女王というネーミングまで与えられたが、1993年の世界選手権でようやく金メダルを獲得した。

概要 マリーン・オッティ, 選手情報 ...
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2000年シドニーオリンピックには40歳で出場したが、その後に若返りを図ったジャマイカ陸上競技連盟と対立[1][2]。スロベニア人のコーチから指導を受けていたこともあり、ジャマイカを離れてスロベニアのリュブリャナに移住した。2002年にスロベニアに国籍を移し、2004年アテネオリンピックにはスロベニア代表として出場。2007年世界選手権大阪大会でも47歳という年齢で出場している。2012年ヨーロッパ選手権ヘルシンキ大会には52歳(と51日)という年齢で4×100mリレーに出場した。これは全ての種目を通じて、ヨーロッパ選手権における最年長出場記録である。

モットーは「生涯現役」。

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自己記録

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主な成績

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  • 2000年8月30日のIAAFパーミットで、向かい風1.2m/sの中でマークした10秒99は、40歳以上の世界記録であり、自身67度目の10秒台となった。
  • 2010年7月13日にノヴォ・メストで11秒67を記録し、世界マスターズ陸上記録のW 50(50歳~54歳)クラスの100mの世界記録をマーク。(マスターズ陸上のW 50(50歳~54歳)クラスより若いクラスの100m、200mの世界記録はすべてオッティのものである)
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その他

  • 2015年5月13日放映の「マツコ&有吉の怒り新党」のコーナー「新・3大○○調査会」で、「オリンピックに執念を燃やす女性スプリンター」として、「新・3大マリーン・オッティの“執念のスプリント”」と題し、1996年アトランタオリンピック女子100m、2004年アテネオリンピック女子100m、2012年スロベニア代表選考レース女子100mの3レースが紹介された。

脚注

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外部リンク

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