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178-270hpのピストンエンジンで2-4人の乗員の機体である。初期の民間用ヘリコプターのベストセラーで、1945年12月8日に原型機モデル47が初飛行、量産タイプは1947年5月の初飛行以来1976年まで、イタリアのアグスタ、日本の川崎重工業、イギリスなどでのライセンス生産を含め、世界で約5,600機が生産された。アメリカ軍では1947年にR-13 スー(1953年よりH-13 スー)として採用され、同盟各国の軍にも配備された。
初期モデルの47D(H-13B)は2座席で、初めてバブル・キャノピーを採用した機体であったが、エンジンの馬力不足で、人員2名を乗せると何も積めない機体であった。続く47D-1(H-13D)はキャビンを拡大して3人乗りとし、スキッド式の降着装置と腹びれを付け、燃料タンクを高い位置に配した。また、重量対策のために後部胴体の外板をなくし、トラス組みの骨組みが剥き出しになったテールブームというスタイルで、当時のヘリコプターのイメージとなった。米軍ではH-13Dに複操縦装置を付けたH-13Eも採用した。47G(H-13G)では、コックピット後方の燃料タンクを左右1個ずつとし、水平安定板を追加した。馬力不足を改善するため、エンジンを200馬力に出力強化したVO-435-A1A(或いは-A1Bか-A1D)に転換し、木製だったローターを全金属製にした47G-2(H-13H)も登場。さらにエンジンを強化した47G-3Bを開発し、荷物を運べるようになったほか、航続距離も増大した。後期型の47H、47Jでは通常のキャノピー、モノコック構造のテールブームとなった。
日本では1953年(昭和28年)、保安庁の警備隊(後の海上自衛隊)に採用され、その後1954年(昭和29年)、保安庁保安隊(後の陸上自衛隊)にも採用された。陸上自衛隊ではベル47D-1をH-13E(米軍とは違う機種)として米軍から6機供与され、次いで川崎重工業によって1954年(昭和29年)-1964年(昭和39年)までライセンス生産が行なわれたH-13H(47G-2、ただしローターは木製)を75機導入、さらに川崎の独自開発H-13KHを1966年(昭和41年)までに19機採用し、練習・連絡・観測ヘリ「ひばり」として1982年(昭和57年)まで使用された。1960年(昭和35年)には、武装ヘリコプターにする研究として、64式対戦車誘導弾やM20改4 無反動砲、M1919 7.62mm機関銃を搭載して、空中での射撃訓練も行われた[1]。
川崎では47Gのほか、G-2の木製ローターを全金属製にし、エンジンを250馬力のVO-435-A1Eに転換した47G-2Aも生産。さらに、エンジン強化型の47G3Bのエンジンの余裕を使用し、キャビンを拡大して4人乗りにしたKH-4を開発し、ライセンスを受けて販売した。KH-4は1962年(昭和37年)に初飛行し、翌年に警視庁に納入されて以降、陸上自衛隊(H-13KH)、新聞社、運行事業会社に採用されたほか、ビルマ空軍など海外へも輸出され、1975年(昭和50年)までに203機が生産された。
また、川崎ではKH-4をベースとして、リジットローター実験機のKHR-1を開発し、研究に用いた。KHR-1は1968年(昭和43年)から実験を開始し、研究の成果を7人乗りのKH-7として量産する計画だったが、オイルショックのあおりを受けて中断された。KH-7計画は1977年(昭和52年)にドイツMBB社との共同開発としてBK117となった。
47D-1は日本ヘリコプター輸送(現在の全日本空輸・ANA)でも使用され、その機体のうちの1機(JA7008)が退役後交通博物館に2006年5月の閉館まで展示されていたが、閉館後は元の所有者だったANAに寄贈された後にANAグループ安全教育センター(2020年8月31日閉鎖)に、2020年6月から現在に至るまで訓練センター「ANA Blue Base」に展示されている。
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