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オペラ監督、国際ジークフリート・ワーグナー協会設立者、初代会長。 ウィキペディアから
フリーデリント・ワーグナー(Friedelind Wagner, 1918年3月29日 - 1991年5月8日)は、ドイツの作曲家ジークフリート・ワーグナーと妻ヴィニフレート・ワーグナーの娘で、リヒャルト・ワーグナーの孫娘。
フリーデリント・ワーグナー Friedelind Wagner | |
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生年月日 | 1918年3月29日 |
没年月日 | 1991年5月8日(73歳没) |
出生地 | ドイツ帝国、 バイエルン王国 バイロイト |
国籍 | ドイツ |
職業 | 演出家 |
ジャンル | オペラ |
著名な家族 |
曽祖母マリー・ダグー 祖父リヒャルト・ワーグナー 兄ヴォルフガング・ワーグナー 弟ヴィーラント・ワーグナー |
バイロイト出身。若い頃より他の家族とともにバイロイト音楽祭に関わり、1936年から芸術監督のハインツ・ティーティエンのアシスタントを務めた。しかし家族ぐるみのつきあいのアドルフ・ヒトラーとその第三帝国には批判的で、1939年、スイスを経由してイギリスに亡命した。イギリスでは新聞に反ナチスのコラムを執筆した。
1941年、アルトゥーロ・トスカニーニの助けでアメリカ合衆国にわたり、反ナチスのラジオ放送に関わるようになった。1944年、回想録『炎の遺産』を執筆[1]。翌年、『バイロイトの夜』というタイトルでドイツ語訳がスイスで出版された。またイギリスでも1948年に『バイロイトのロイヤル・ファミリー』のタイトルで出版された[2]。1967年には2冊目の回想録の出版準備が進みながら、ワーグナーは刊行を承諾しなかったという[3][4]。
1953年に西ドイツに戻り、バイロイト音楽祭の期間に音楽を学ぶ学生のためにマスタークラスを開いた[4][5]。1960年、ライプツィヒ歌劇場のオープニングに主賓として出席[5]。1967年、ビーレフェルトで『ローエングリン』を上演した。1975年、国際ジークフリート・ワーグナー協会を設立し会長となった。1976年、ピエール・ブーレーズとパトリス・シェローが制作した『ニーベルングの指環』のドキュメンタリー映画を制作し出演した。
教え子にアメリカの指揮者マイケル・ティルソン・トーマスがいる。
バイロイト音楽祭を支えてきた女系の家族をあげる。
1945年に発行した自伝『Heritage of Fire』(英語版)は1974年までの間に23版を重ねて世界の図書館495館が収蔵しており[6]、またオランダ語[7]を含む各国語に翻訳された。
日本語版
各国語版
発行年順。
バイロイト音楽祭100周年を記念して『ニーベルングの指環』全曲を映像化する企画が立てられ、フリーデリント・ワーグナーは制作陣に参加。ピエール・ブーレーズを指揮者に、パトリス・シェローを演出に迎えると「神々の黄昏」編、「ジークフリート」編の2編と、制作過程を追ったメイキング編の3編にまとまった。
バイロイト音楽祭100周年記念作品として発表したパトリス・シェロー版ワーグナーの「ニーベルンゲンの指環」上演をめぐる記録映像(1976年から1980年)。出演者、フリーデリント・ワーグナー(製作)を含む血縁者への取材、リハーサルから演奏会、録音風景をまとめた。記録映像や写真を使い、バイロイト音楽祭の歴史を1980年代半ばまでおさめた。(紹介文より抜粋[9])
歴史家のエファ・リーガーと音楽学者でドキュメンタリー作家のエファ・ワイスワイラーがそれぞれ、フリーデリント・ワーグナーの伝記をまとめた。
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