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『フェードル』(仏: Phèdre)は、フランスの劇作家、ジャン・ラシーヌ作の悲劇。初演時の題名は『フェードルとイポリート Phèdre et Hippolyte 』だった。全体で5幕からなり、アレクサンドラン(十二音綴)で書かれている。初演は1677年1月1日、オテル・ド・ブルーゴーニュ座。ラシーヌにとっては、最後の世俗的悲劇で、この作品を書いてから12年間、新作を書くことなく、宗教と王への献身に専念することになる。
『フェードル』はギリシア神話から題材を得ている。ギリシア・ローマの悲劇詩にも取り上げられ、とくにエウリピデスの『ヒッポリュトス』とセネカの『パエドラ』が有名である。フェードル(パイドラ)は、夫テゼー(テセウス)の留守中に、義理の息子イポリート(ヒッポリュトス)に恋をしてしまう、という話である。
『フェードル』はすべての面で完成度が高い。悲劇的構成、人間観察の深さ、韻文の豊かさ、さらにマリー・シャンメレが演じた主役フェードルの解釈。ヴォルテールはこの劇のことを「人間精神を扱った最高傑作」と呼んでいる。エウリピデスと反対に、ラシーヌは劇の最後でフェードルを死なせている。つまり、フェードルがイポリートの死を知ってしまうのだ。フェードルのキャラクター造型はラシーヌの悲劇作品の中でも最高のものである。フェードルは他人を不幸にしながら、実は彼女自身も己の衝動の犠牲者である。怖さと哀れさを共に備えたキャラクターといえよう。
この劇の台詞のいくつかは、たとえば「la fille de Minos et de Pasiphaë(ミノスとパジファエの娘)」(第1幕第1場にあるイポリートの台詞)など、フランスの古典的な名台詞となった。十二音綴詩句は音楽性の美しさが特徴だが、ラシーヌはただ響きの美しさだけを考えて台詞を書いたわけではない。フェードルの中には、母パジフィエから受け継いだ、飽くことなき欲望と死への恐怖が複雑に入り混じっている。
コルネイユを後援するブイヨン公爵夫人とその一派の陰謀により、初演は成功にいたらなかった。彼女たちは、今では忘れられた作家ニコラス・プラドンに同じ題材の劇を急いで書かせ、その上演を『フェードル』にぶつけてきたのだ。そのせいで、ラシーヌは1689年まで劇の執筆を絶つことになった。なお、その時書いた劇は『エステル』で、ルイ14世の寵姫マントノン侯爵夫人の依頼によるものだった[1]。しかし現在では、『フェードル』はラシーヌの代表作の一つと見なされ、また、17世紀以降現在まで上演回数の最も多い作品のひとつとなっている。
フェードルの運命は、その家系に支配されている。その祖は太陽神ヘーリオスでありながら、劇の至るところで、フェードルは裁きを避けるかのように陽の目から身を隠そうとする。この裁かれるという感覚は、フェードルの父ミノスが、ハーデースで死者の魂を計り善悪を判断していることにも繋がる。フェードルが裁きを恐れるのはもっともで、フェードルは継子イポリートを愛するが、一般にタブーとみなされる欲望に突き動かされる傾向は、彼女の家系の他の女性たちにも見られるものであった。たとえば彼女の母パジファエはヴェニュスの呪いで雄牛に恋をし、ミノタウロスを産んだ。なお、フェードルがテゼーと最初に会ったのは、テゼーが彼女の異父兄弟ミノタウロスを殺すべくミノアに来た時だった。
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