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スペインの著作家 (1867-1928) ウィキペディアから
ビセンテ・ブラスコ・イバニェス(Vicente Blasco Ibáñez, 1867年1月29日 - 1928年1月28日)はスペインの作家。反王制運動のために30回投獄される政治的活動のかたわら小説を執筆、闘牛を題材にした『血と砂』、第一次世界大戦を舞台にした『黙示録の四騎士』などで世界的に知られる。ブラスコ・イバーニェス、 ブラスコ・イバニエス表記もある。
バレンシアに生まれ、この町の大学で学び、法学士となる。この間一時マドリードへ行き、人気作家フェルナンデシ・ゴンサーレスの口述筆記や代筆などもしていた。19歳の時に、第一共和政の樹立者ピ・イ・マルガーリョを師とする共和主義者として活動するようになり、1889年にボルボン王朝への反抗運動が失敗して政府からの弾圧に遭い、パリに亡命し、そこで『イスパニヤ革命史』『パリ、一亡命者の印象』執筆。1891年の特赦でバレンシアに戻り、政治運動に没入し、『平民新聞』に数多く論文や社説を執筆、短編小説にも手を染め、小説は後に『バレンシア物語』などにまとめられた。続いて中編の郷土小説「米と抱え車」「五月の花」、長編『草屋根の家』を連載し、文学界で注目を受けた。
1895年に革命計画が失敗してイタリアに亡命、旅行中に書いたエッセイ「芸術の国から」も『平民新聞』に掲載された。その後帰国し、反王政運動に加わって6ヶ月の懲役刑を受けるが、バレンシア州の国会議員に選出されたため、刑の執行は赦された。そしてバレンシアを舞台にした『蜜柑の郷』『葦と泥』などを執筆する。やがてマドリードに移り、社会主義的傾向を持つ『伽藍』『闖入者』『酒蔵』など、またスペイン各地を取材し、闘牛士の栄光と悲劇を描いた『血と砂』が評判となり、のちにルドルフ・ヴァレンティノ主演で映画化された。また東部ヨールッパを旅行し、旅の印象を綴ったエッセイをマドリード、ブエノスアイレス、メキシコなどの新聞に発表した。
1909年に招待されて、アナトール・フランスとともにブエノスアイレスに講演旅行へ旅立ち、大歓迎を受け、パラグアイ、チリなどを巡って帰国する。次いでアルゼンチンのリオ・グランデに土地を買って移り住み、アルゼンチンの開拓に臨んだが、資金を使い果たして1913年に帰国する。この時に土地の処分を託した銀行家を巡る訴訟に巻き込まれたが、自身はこれに関わらず、1921年に勝訴となっている。
1914年に南米を題材にした『アルゴス丸乗組員』を発表するが、第一次世界大戦の勃発後はフランス側の立場での文章を数多く執筆し、『1914年世界大戦史』を書き始める。続いて1916年に『黙示録の四騎士』を発表、すぐに大評判になり、英語訳はたちまち200版を重ね、『イラストレイテド・ロンドン・ニュース』紙は「古来印刷された書物のうち、聖書をのぞいて、もっとも多く読まれた作品」と書き、アメリカの世論を参戦へと決定付けたとも言われた。次いで『われらの海』『女性の敵』と大戦三部作と呼ばれる作品を発表。
1919年にイスパニヤ協会に招かれてコロンビア大学をはじめ全米各地で講演。ジョージ・ワシントン大学では、名誉文学博士の称号を授けられた。北米ではメキシコ大統領ベヌスティアーノ・カランサにも招かれ、この時に見聞した国情を書いた文章を各新聞に発表し、『メキシコの軍国主義』としてまとめられた。
帰国後は南フランスのマントンに住むが、1923年から世界一周旅行に出発、日本では翻訳者である永田寛定の紹介で講演を行った。マントンに戻ってからは『女王カラフィヤ』など『アルゴス丸乗組員』に続くアメリカもの小説を書き始める。しかしミゲル・プリモ・デ・リベーラ将軍のクーデター及び軍閥独裁制への反対闘争に加わり、『イスパニヤのために』他数多くの小冊子類の執筆に精力を傾けた。
その後は歴史小説『海の法王』『美神のみまえに』などを執筆。やがて持病の糖尿病に気管支炎を併発し、1928年に死去、マントンの墓地に葬られた。第二共和制後に功績をたたえられて切手の肖像にもなり、遺骸は1933年に、共和国海軍の戦艦によってバレンシアに運ばれ、市民墓地の非カトリック者のための区画に埋葬された。墓銘碑には、バレンシアに帰省した際の市民の歓迎への挨拶から「願わくば、わが夢を育み満たせしわれらが海のかたえ、バレンシアのいとつましき奥城に安らぎて、わが骸はわがいとしき愛の血バレンシアの土と化さん 1921.5.2」[1]と刻まれている。
イバニェスはフランコ時代には評価されずにいたが、1975年のフランコ死後には再評価され、顕彰碑も作られて、『葦と泥』がベストセラーに名を連ねるようになった。
初期の小説は、自身の出身地バレンシア地方を舞台にし、ゾラなどのフランス自然主義の影響を受けた郷土文学だが、「作者が率直であればあるだけ、読むのに骨が折れない」という信条をもとに、簡明率直な表現をおこなった。報告文学とも呼ばれ、バレンシア地方のアルブフェーラ湖の漁師や農民の暮らしと、キューバでの米西戦争帰りの男を描いた『葦と泥』執筆の際は、この地に滞在してその生活を体験し、この地方の歴史や伝説、年中行事なども作中に込めている[1]。
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