パトリック・セルキュ

ウィキペディアから

パトリック・セルキュ

パトリック・セルキュ(Patrick Sercu、1944年6月27日 - 2019年4月19日)は、ベルギールーセラーレ出身の元自転車競技選手。6日間レース歴代勝利数第1位の88勝を挙げている。また1964年東京オリンピック(会場は八王子自転車競技場)における1kmタイムトライアル、世界自転車選手権におけるプロ・アマ通じてスプリントで3度の優勝を誇った他、ツール・ド・フランスでは1974年にポイント賞を受賞するなど、トラックレースとロードレースの両輪で大活躍。また自転車競技選手としては極めて稀有な、距離不問のオールマイティー選手であった。加えて、1Kmタイムトライアルの世界記録も保持していたことがある。引退後は故郷のベルギーで開催される2つの6日間レース(ゲント、ハッセルト)の競技運営者を中心に活動していた。2019年4月19日に死去。74歳没[1]

概要 獲得メダル, オリンピック ...
獲得メダル
Thumb
パトリック・セルキュ
オリンピック
1964 東京1kmタイムトライアル
1963アマ・スプリント
1967プロ・スプリント
1969プロ・スプリント
1968プロ・スプリント
閉じる

6日間レース

要約
視点
2008年

プロ入りした1965年ヘント6日間レースエディ・メルクスとコンビを組んで優勝を果たしたのが記念すべき1勝目であった。以後メルクスとコンビを組んで15勝をマークする。

セルキュが6日間レースの王者として君臨するようになったのはオランダペーター・ポストとコンビを組んだ1960年代後半から1970年代前半にかけてのこと。6日間レースでは百戦錬磨のポストが、まだ若手選手だったセルキュをうまくリードしていたからこその結果ともいえるが、この間、セルキュ・ポスト組はほぼ無敵の強さを誇った。

ポストが1972年に引退した後はメルクスの他、パートナーは色々と替わったこともあったが、こちらも6日間レース史上歴代3位の実績を誇ることになるオランダ人のレネ・パイネンディートリッヒ・チューラオアルベルト・フリッツを中心としたコンビで勝利を重ね、1979年のベルリン大会で、ポストが保持していた65勝を上回る66勝をマークして歴代第1位に躍り出た。そして、1983年のコペンハーゲン大会でゲルト・フランクと組んで最後の優勝を果たすまで実に88勝をマークした。現役選手として現在最多勝利数を誇るのはスイスブルーノ・リシで47勝だが、リシは1968年生まれであり、恐らくそう長くは現役を続けられないというように考えると、セルキュの88勝という記録を更新する選手は恐らくしばらくは出現しないだろうと見られる。

88勝の足跡

さらに見る 勝目, 年 ...
勝目開催地パートナー
11965ヘントエディ・メルクス
21966フランクフルトクラウス・ブッダール
31967ケルンクラウス・ブッダール
41967モントリオールエミール・セヴェレイン
51967ヘントエディ・メルクス
61967ミュンヘンクラウス・ブッダール
71967シャルレロワフェルディナン・ブラッケ
81968ロッテルダムペーター・ポスト
91968ロンドンペーター・ポスト
101968フランクフルトルディ・アルティヒ
111968ドルトムントルディ・アルティヒ
121969ブレーメンペーター・ポスト
131969アントウェルペンペーター・ポスト リック・ファン・ローイ
141969ロンドンペーター・ポスト
151969ドルトムントペーター・ポスト
161969フランクフルトペーター・ポスト
171969シャルレロワノルベール・ソーヴ
181970ケルンペーター・ポスト
191970ブレーメンペーター・ポスト
201970ロンドンペーター・ポスト
211970ヘントジャンピエール・モンゼレ
221971ロッテルダムペーター・ポスト
231971ロンドンペーター・ポスト
241971ベルリンペーター・ポスト
251971フランクフルトペーター・ポスト
261971ヘントロジェ・デフラミンク
271972ロンドントニー・ゴーランド
281972ドルトムントアラン・バンランケル
291972ヘントユリアン・ステーブンス
301973ケルンアラン・バンランケル
311973ミラノユリアン・ステーブンス
321973ドルトムントエディ・メルクス
331973グルノーブルエディ・メルクス
341973ヘントグラーム・ギルモア
351974アントウェルペンエディ・メルクス
361974ロンドンレネ・パイネン
371974ドルトムントレネ・パイネン
381975ブレーメンレネ・パイネン
391975アントウェルペンエディ・メルクス
401975ベルリンディートリッヒ・チューラオ
411975グルノーブルエディ・メルクス
421975ヘントエディ・メルクス
431975チューリッヒグンター・ハリッツ
441976ロッテルダムエディ・メルクス
451976アントウェルペンエディ・メルクス
461976ミランフランチェスコ・モゼール
471976ドルトムントフレディ・マルテンス
481976マーストリヒトグラーム・ギルモア
491977コペンハーゲンオーレ・リッテル
501977アントウェルペンフレディ・マルテンス
511977ロンドンレネ・パイネン
521977ベルリンエディ・メルクス
531977ミュンヘンエディ・メルクス
541977ヘントエディ・メルクス
551977チューリッヒエディ・メルクス
561977マーストリヒトエディ・メルクス
571978ベルリンディートリッヒ・チューラオ
581978フランクフルトディートリッヒ・チューラオ
591978グルノーブルディートリッヒ・チューラオ
601978ミュンヘングレゴール・ブラウン
611978ヘントジェリー・クネットマン
621979ケルングレゴール・ブラウン
631979ロッテルダムアルベルト・フリッツ
641979ハノーファーアルベルト・フリッツ
651979ロンドンアルベルト・フリッツ
661979ベルリンディートリッヒ・チューラオ
671979ドルトムントディートリッヒ・チューラオ
681979ミュンヘンディートリッヒ・チューラオ
691979チューリッヒアルベルト・フリッツ
701979ブレーメンアルベルト・フリッツ
711980コペンハーゲンアルベルト・フリッツ
721980コペンハーゲンアルベルト・フリッツ
731980ベルリングレゴール・ブラウン
741980ドルトムントグレゴール・ブラウン
751980ヘントアルベルト・フリッツ
761980ヘルニンクゲルト・フランク
771981ケルンアルベルト・フリッツ
781981コペンハーゲンアルベルト・フリッツ
791981ミラノフランチェスコ・モゼール
801981グルノーブルウース・フローラー
811981ヘントゲルト・フランク
821982ロッテルダムレネ・パイネン
831982コペンハーゲンレネ・パイネン
841982アントウェルペンロジェ・デフラミンク
851982ベルリンマウリツィオ・ビディノスト
861982ミュンヘンレネ・パイネン
871983ロッテルダムレネ・パイネン
881983コペンハーゲンゲルト・フランク
閉じる

脚注

関連項目

外部リンク

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.