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バーヌ・アタイヤ(Bhanu Athaiya、1929年4月28日 - 2020年10月15日)は、インドの衣裳デザイナー、画家[1]。日本語では「ブハヌ・アタイヤ」とも表記される。インド人で初めてアカデミー賞を受賞した人物である[2][3]。ヒンディー語映画で最も著名な衣装デザイナーであると同時に、M・F・フセイン、F・N・ソウザ、ヴァスデーオ・S・ガイトンデと並ぶ芸術家としても知られており[4]、ボンベイ・プログレッシブ・アーティスト・グループの歴史上唯一の女性メンバーだった[5]。
バーヌ・アタイヤ Bhanu Athaiya | |||||||||||||||
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オスカー像を手にするバーヌ・アタイヤ(1983年) | |||||||||||||||
本名 | バーヌマティ・アンナサーヘブ・ラージョーパディエ(Bhanumati Annasaheb Rajopadhye) | ||||||||||||||
生年月日 | 1929年4月28日 | ||||||||||||||
没年月日 | 2020年10月15日(91歳没) | ||||||||||||||
出生地 |
イギリス領インド帝国 コールハープル・マラーター王国コールハープル(現マハーラーシュトラ州) | ||||||||||||||
死没地 | インド マハーラーシュトラ州ムンバイ | ||||||||||||||
職業 | 衣裳デザイナー、画家 | ||||||||||||||
ジャンル | ヒンディー語映画 | ||||||||||||||
活動期間 | 1947年-2015年 | ||||||||||||||
配偶者 | サティエーンドラ・アタイヤ | ||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||
『渇き』 『旦那様と奥様と召使い』 『都の花嫁アムラパーリー』 『シッダールタ』 『ガンジー』 『愛しのヘナ』 『1942・愛の物語』 『ラガーン』 | |||||||||||||||
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1956年に『C.I.D.』に参加して以降は映画界に活動の幅を広げ、『渇き』『旦那様と奥様と召使い』『Guide』『都の花嫁アムラパーリー』『Teesri Manzil』『Satyam Shivam Sundaram』『Razia Sultan』『Chandni』『Lekin...』『1942・愛の物語』『ラガーン』『Swades』などに携わった[6]。『ガンジー』ではアカデミー衣裳デザイン賞を受賞し[7]、英国アカデミー賞 衣装デザイン賞にノミネートされた[8]。
現在のマハーラーシュトラ州コールハープルに暮らすマラーター・バラモン家庭に7人兄弟の第3子として生まれた。父アンナサーヘブは芸術家として生計を立てており、撮影監督としてバーブラーオ・パインタルの監督作品にも携わっていたが、バーヌ・アタイヤが11歳の時に死去している[9][10]。
彼女はボンベイのサー・J・J芸術学校に進学し、1951年に発表した絵画『Lady In Repose』でウシャ・デーシュムク金メダルを受賞している[11][12][13]。
サー・J・J芸術学校に通いながら芸術家として活動を始め、ボンベイ・プログレッシブ・アーティスト・グループの一員として展覧会を開催した[14][15]。また、フリーランスのファッション・イラストレーターとして『イヴズ・ウィークリー』『ファッション&ビューティー』などの女性雑誌で仕事をこなしており[16]、『イヴズ・ウィークリー』の編集者が服飾店を開業した際、ドレスのデザインを依頼されたことをきっかけに服飾デザイナーとしても活動するようになった[17]。
1956年に衣装デザイナーとして『C.I.D.』に参加したことをきっかけに映画業界でも活動を始め[18]、その後はグル・ダットの目に留まり、グル・ダット・チームの一員として『渇き』『十四夜の月』『旦那様と奥様と召使い』など彼の監督作品の常連スタッフになった[17]。1982年に携わった『ガンジー』ではジョン・モロと共にアカデミー衣裳デザイン賞を受賞し、インド人初のアカデミー賞受賞者となった[18][19]。また、インド国内でも『Lekin...』『ラガーン』で国家映画賞 衣装デザイン賞を受賞している[20][21]。彼女は50年以上のキャリアの中で100本以上の映画で衣装デザインを手掛け、グル・ダット、ヤシュ・チョープラー、B・R・チョープラー、ラージ・カプール、ヴィジャイ・アーナンド、ラージ・コースラー、アシュトーシュ・ゴーワリケール、コンラッド・ルークス、リチャード・アッテンボローの作品に携わった[22][23][24]。
2010年3月に著書『The Art of Costume Design』をハーパーコリンズから出版し[25]、2013年1月13日には同著をダライ・ラマ14世に進呈している[26][27]。2012年2月23日に映画芸術科学アカデミーに対して「自分の死後、家族がオスカー像の管理をすることが困難になるため」としてオスカー像の返還を申し出たことが報じられ[28]、12月15日にオスカー像が映画芸術科学アカデミーに返還された[29]。
2012年に脳腫瘍と診断され、その影響で半身不随となり晩年の3年間は寝たきり状態になっていた[11]。その後、2020年10月15日にムンバイの自宅で死去し[30][11][31]、南ムンバイのチャンダンワディ火葬場で荼毘に付された[11]。
バーヌ・アタイヤの死去に際して、『ラガーン』で主演を務めたアーミル・カーンは「バーヌは精密なリサーチと映画的な才能を見事に融合させ、監督のヴィジョンを実現させた映画人の一人でした」と弔意を表明し[31]、2021年4月には『ニューヨーク・タイムズ』の「Overlooked」(死亡時に訃報記事が掲載されなかった人物を特集するシリーズ)に特集記事が掲載された[32]。
1950年代に作詞家・詩人のサティエーンドラ・アタイヤと結婚し、1959年には芸名を「バーヌマティ」から「バーヌ」に改名している。2004年に夫と死別しており、夫婦の間には娘ラーディカー・グプタがいる[32]。
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